子どもが魔法を使うことは映画の鉄板ネタともいえるでしょう。ハリーポッター・シリーズや宮崎駿の『魔女の宅急便』などはその一例です。
『魔女の宅急便』のテーマ曲になった『やさしさに包まれたなら』では、子どもの願いを叶える神さまの存在が歌われています。
小さな子どもは生まれたばかりなのでまだ天国の神さまとつながっていると思われるからでしょうか。
『ライアーライアー』でマックスの願いが叶ってもどこか自然と腑に落ちるのはそんな思いがあるからかもしれません。
嘘をつけないというお笑いネタ
嘘をつけないということがこのコメディ映画の基本設定になっています。その真意を探りましょう。
嘘が武器になる弁護士
映画冒頭にマックスは先生の前で父の職業をliar・ライアー(嘘つき)だといいます。しかし、それはlawyer・ローヤー(弁護士)の言い間違いでした。
しかし実際、的を射ています。映画の題を『ライアーローヤー』にしてもいいほど、フレッチャーはローヤーでありながらライアーでもあります。
裁判のシーンでもそれは顕著に出てきます。フレッチャーはクライアントが良き妻でも良き母でもないことを巧みな話術でごまかしました。
嘘はついていませんが、事実を隠すという意味で嘘をついているのです。そして法律を味方につけて裁判を有利に進めました。
これは弁護士への皮肉でもあるでしょう。弁護士には事実の巧みな隠ぺいによって嘘をつき、悪人を法的に守っている人が少なからずいます。
そういう弁護士にとって、嘘は最大の武器だといえるでしょう。
正直さが売りになるコメディアン
そんな弁護士に対しコメディアンは、逆に正直であることが最大の武器であり売りだといえます。
事務所の会議の席でフレッチャーの悪態が笑いを生んだのはその良い一例です。正直さは怒りだけではなく、時に爆笑をも生むのです。
弁護士という嘘をつきがちな職種の人が、嘘をつけないバカ正直なコメディアンになる。
このギャップがこのコメディ映画の笑いの源泉にあるでしょう。嘘をつけないという設定の狙い・真意もそこにあるはずです。
嘘の良し悪しの大きな基準になるものとは
本作のメインテーマとして、嘘をつくことが正しいのかどうかということがあります。
フレッチャーは、嘘はダメだと頑なに信じている息子マックスに、大人になれば嘘が必要になると言って聞かせます。
それに対し、マックスはこう返します。
「嘘は嫌いだ。僕が傷つくのはパパの嘘だ」
引用:ライアーライアー/配給会社:ユニバーサル・スタジオ
傷つけたかどうかというのは、嘘の良し悪しの大きな基準になります。気さくなジョークなら嘘でも大勢の人を笑わせるので善だといえます。
しかし見栄を張るための嘘なら、たとえ誰にもバレなくても本人のプライドや良心が傷つくことでしょう。
多くの政治家に見られるよう、罪逃れのために事実を隠す嘘であればそれは社会のモラルを傷つけます。
マックスの何気ないセリフには嘘に対する深い洞察が感じられるものでした。
嘘つき男にピッタリなジム・キャリーの演技
嘘をつけなくなった男を演じるのにジム・キャリーは適役だったといえます。理由は彼の芸風にあります。
ジム・キャリーのすべて計算された芸風
『ライアーライアー』は90分足らずの比較的短い映画です。
それもそれ以上長いとジム・キャリーがぶっ倒れてしまうからではないか。そう思わせるほど、この映画での彼の演技はクレイジーでした。