彼女のキャラクターを良く語り単なる衣装の枠を超えているといえるでしょう。
ジバンシーの衣装は主題歌と並び、「ティファニーで朝食を」のもうひとりの登場人物かもしれません。
猫が象徴するもの
ホリーと猫の性格は同じ
ホリーが飼っている猫。名前がありません。
この猫はラストシークエンスで大事な役目を担うのですが、映画全般からみれば分かりやすいホリーのメタファーといえるでしょう。
ホリー自身が自分が名前の無いこの猫と同じだ、ということをポールに叫ぶシーンもありました。
猫の自由気ままな、犬と違って飼い主に心を許していない「ツンデレ」な性格。
群れない、孤独を愛するようなニュアンスもあるでしょう。
ホリーは男たちのことを「ネズミ」といいます。これは猫が狙う獲物そのもの。
まるでこうした猫の性格のカーボンコピーのようなホリーの性格なのです。
名のない猫だって普通に愛されたい
そしてラストで、ホリーはタクシーから猫を路上に放ちます。
「自分で生きていきなさい。私もそうするから」とでも言うように。
でもホリーは自分ひとりでは生きていけない、ポールの愛こそ必要なのだと理解し、猫を探して拾い上げます。
そしてポールの後を追い、二人は猫を間に挟んでしっかりと抱き合うわけです。
挟まれた猫はまるで孤独を捨てたホリーの愛情の象徴のように見えてきます。
ホリーとポールが惹かれ合ったのはなぜ?
ポールと相似形なホリー
ポールは小説家として名を成したいと思っています。更に2Eというパトローネに援助を受けているのです。
これは女版ホリーともいうべき立場とみえます。
アパートでたまたまホリーの部屋で彼女を見た瞬間からポールは自分と同じ匂いをホリーに感じたのではないでしょうか。
上昇志向の強いホリーはポールの「普通の愛情(こそ大切なのですが)」になかなか気が付きません。
なぜならば先にも書いたようにホリーの性格は「猫」だからです。
愛する肉親の存在
またホリーにはまもなく軍隊を除隊してくる兄がいます。唯一心を許せる肉親で、ホリーは彼の面倒をみようとしています。
その心を許せる兄の面影をポールに重ねていたのかも知れません。
「普通かつ真実の愛」に目覚めたホリー
ポールはホリーの現状を自分が何とかしなくてはならないと覚醒します。
しかし、ご主人の気持ちが分からない猫のようにホリーはポールの腕からスルリスルリと抜けていきます。
ポールは自分がホリーを愛する「普通の愛」に気が付いて欲しい、ホリー自身が作った檻の中から出てきなさい、と呼びかけるのです。
そしてやっとホリーは無償に愛することの大切さを雨の降る中で気が付いたのでした。
カポーティの原作とは異なってしまった映画ですが、ブレイク・エドワーズ監督の描くNYの孤独な男女のお洒落な愛の物語に仕上がった本作。
ヘプバーンという不滅のキャラクターを得て、観る人に分かりやすく刺さる恋愛娯楽作として永遠の価値を獲得しました。
ヘンリー・マンシーニの名曲と共に。