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世界に名だたる名監督、黒澤明の代表作『羅生門』。
黒澤明監督はこの作品で世界に発見され評価されることとなりました。
日本では全く期待されておらず興行的にも振るわなかったにも関わらず、海外で絶賛されたのです。
日本映画として初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞し、黒澤明や日本映画が世界で認知・評価されるきっかけとなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/羅生門
ここでは原作となった芥川龍之介の原作と、その原作にないシーンの意図を解説していきます。
戦後日本を大いに勇気づけた本作品の魅力に迫ってみましょう。
原作は『羅生門』と『藪の中』
映画のタイトルである『羅生門』はご存じ芥川龍之介の小説の名前です。
教科書に載っている小説なので読んだことがある人が大半でしょう。
「羅生門」と銘打っているのに内容が違うので戸惑った方もいるのではないでしょうか。
映画のメインストーリーは同じく芥川龍之介の小説『藪の中』です。
しかし小説と映画では大きな違いがあります。
原作との違い
細かな違い(侍烏帽子が落ちている・守り袋の有無)は多々ありますが、映画と原作小説との大きな違いは以下の三つです。
- 物語が語られる場所が羅生門であること
- 杣売りの視点が真実として描かれること
- 赤ん坊の存在
以下で詳しく見ていきましょう。
物語が語られる場所が羅生門であること
映画では、物語は雨の羅生門の下で杣売りと旅法師が下人に語りかける形を取っています。
原作では、検非違使の白洲で関係者が語ったことを書き取った調書のような形となっています。
原作小説は、淡々と書かれた調書を端然と並べた構成です。
小説の語り口は冷静さを感じさせ、そのあまりの怜悧さに鳥肌が立つほど洗練されています。
それに対して映画では、舞台は雨が降りしきる朽ち果てた羅生門の下です。
小説『羅生門』では盗人の業が生々しく描かれており、羅生門は人間の業の象徴であるといえます。
おどろおどろしい羅生門の下で語られる奇妙な話というのは、観客の覗き見根性を煽るような舞台設定といえるかもしれません。
杣売りの視点が真実として描かれること
原作は金沢武弘(殺された侍)の証言で終わっています。
つまり真実は明かされないまま終わってしまうのです。
この小説に対するひとつの解釈として、黒澤明と橋本忍(黒澤と共同で脚本を制作した脚本家)が杣売りの視点を付け加えています。
人間の業の象徴である羅生門の下で語られるにふさわしい、泥臭く不格好で人間臭い真実となっています。
赤ん坊の存在
原作には赤ん坊はでてきません。
そもそも原作では、杣売りや旅法師は証言者として最低限の事実を述べるだけです。
杣売りや旅法師にキャラクターを与え人間性を持たせたのは映画のオリジナル要素といえます。
また、小説『羅生門』に出てくる下人を彷彿とさせる人物を登場させたのも映画の脚色です。
監督の意図とは?
以上に述べたように、映画『羅生門』には付け加えられたシーンが多々あります。
映画にするには脚本が短すぎたという単純な理由もありますが、それだけでしょうか。