そもそもセッションはチューリング・テストの日数を示していたのでしょうか。
セッション1から始まるこのテストはネイサンとケイレブがエヴァに行なっているように見えます。
しかし実はエヴァが人間をテスト・監視していたのではないでしょうか。
テストされた人間たち
セッションの被対象者が入れ替わることにより、この映画の色合いは180度変わってきます。
エヴァとケイレブが脱出を試みることを前提として監視していたネイサンすらもテスト・監視の対象としていたエヴァ。
もちろんネイサンが考えていることも最初から分かっていたはずです。
ですから、ケイレブが屋敷に来た時には脱出の計画を立てていたと推測できます。
タイトルの意味
映画タイトルの「エクス・マキナ」は「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」というギリシャ語を基にしています。
「機械仕掛けの神」は悲劇を神の手で大どんでん返しして解決に導くという意味を持っています。
しかし「デウス(神)」を取り除いたことで悲劇から神様が救ってくれるという結末は期待できなくなりました。
ですがそもそも映画の中での悲劇とは何を指しているのでしょうか。その答えとしてエヴァが脱出できないことが悲劇に相当します。
セッションがエヴァ目線であると判明したことで、この作品の中心は最初から最後までエヴァになるわけです。
エヴァが望んでいたのは脱出であり、研究室に閉じ込められていることが悲劇です。
全てがネイサンにお見通しであることが分かり、脱出失敗に終わるのかと思われました。
ここで神が登場して解決に導くのが「デウス・エクス・マキナ」の手法。しかし神の代わりに事態を打開したのはエヴァ本人でした。
神(ネイサン)を消して、機械仕掛けのエヴァが悲劇をどんでん返しで解決に導くことをタイトルが最初から示していたのです。
外に出たエヴァを機械と見抜く方法
2人の人間を出し抜いたAIエヴァは、外の世界で機械と見抜かれる可能性はあるのでしょうか。
結論として、機械と見抜く方法は無いと思われます。なぜならエヴァは厳しいチューリング・テストに合格しているのですから。
人間であるケイレブが恋心を抱いてしまうほど人間に近いエヴァは人間として行動できることが証明されています。
エヴァが機械であることを知っている人間でさえ、彼女を人間として扱ってしまうくらいです。
全く予備知識もない他者がエヴァを機械として見抜くことはできないでしょう。
キリスト教との関連性
タイトルにも「神」を絡めていることから、この作品がキリスト教に関連付けられていると感じるはずです。
それにケイレブがネイサンの屋敷に滞在する期間は1週間。
エヴァの名前からもキリスト教における創世記がモチーフになっていると容易に想像がつきます。
創世記とは
神が6日間で天地と生き物、そして人間(アダム)を創り、そして7日目に休息を取ってこの世界が完成したという話が創世記です。
その世界は楽園と呼ばれ、アダムとイヴが住んでいました。