総士は初代蒼穹のファフナーでフェストゥムを呼び寄せた「ラジオの起動」によって、総士から見た敵となってしまう「真壁一騎」を呼びます。
ここで一騎は総士を守るために島民がフェストゥムである事を教え、真の姿に変わった島民を同化によって消し去っていきました。
総士を守ろうとするフェストゥムが、人の力を越えた一騎によって消されていく様子は当初のフェストゥムに消されていく人間のようです。
1作目で「人間側がされていた事」を「人間側がしている」という状況になり、まるで立場が逆転しています。
乙姫(フェストゥム・フロロ)は連れ去られていく総士を泣いて守ろうとし、そんな愛に満ちた乙姫を一騎は同化で消し去るのです。
それを見ていた総士は一騎に対して、明確に一騎と敵対する立場を取ることになりました。
この時、フロロは戦いを避けようとしていたのです。
フェストゥムが戦いを望まず、情に訴えかけたのでした。それを無感情に切り捨てた一騎の意思とは?
何故マレスペロはフェストゥムに多彩な感情を学ばせようとさせたのか
今作2話では明らかに愛情を持ったフェストゥムがいて、そのお膳立てをしたのはマレスペロであることはフロロの発言からもわかります。
しかし本来単なる戦力であるはずのフェストゥムに、フロロを始めとした偽竜宮島の島民フェストゥムが持っていた愛情は必要なのでしょうか。
憎しみや戦いの感情だけをフェストゥムに学ばせておけば戦いに十分事足りるはずです。理由を考察してみましょう。
操のようにフェストゥム側でも人の姿を持ってファフナーに乗れるようにするため?
1話の時点でフェストゥム側がSDPを奪ったような描写がありました。
これを十全に行使するため、ファフナーとの同化をより強固にする感情を欲したという可能性です。
しかしフェストゥム側には既に『ソルダート』と呼ばれる技術があるので、これは違うかもしれません。
ジョナサン・ミツヒロの敗北から学習した?
前作のラストで戦ったジョナミツは憎しみの器として描かれました。
マレスペロの手駒として、憎しみだけでは勝てないと踏み、感情をもたせたかった可能性があります。
アルタイルとの対話のために感情を必要としている?
アザゼル型としてアルタイルと向き合った際には相手にされなかったため、人間的な感情を勉強することで状況を変えようとしている可能性です。
現状で到来が予想されるアルタイルを取り込むために必要な事なのかもしれません。
ジョナミツのようなエスペラントが感知できないフェストゥムが既にいて、人間社会の内側に潜り込ませるため?
人間的な感情を学ばせることでより人間社会の深部へ送り、人類に致命的なダメージを与えるためという可能性です。
しかしそれにしては一騎に対しての行動が「排除」ではなく「捕まえる」を前提にした攻撃意識の低い内容でした。
最終的に人間を生み出したい?
この疑問は今作のテーマに関わってくるはずです。
<BEYOND>は超えるという意味であるなら、フェストゥムは人間を超えるのか、人間はフェストゥムを超えるのかという話にもなってきます。
実際、前作までの“1人目の主人公”である真壁一騎は人間であるという状態を越えているのです。
フェストゥムもそれに対応して、人間を超えるために研究していたという可能性もあるでしょう。
竜宮島と偽竜宮島、悪のない戦い
境遇が鏡像関係です。「他人から奪った技術で」「自分たちだけが平和に暮らしている」のです。
人間がフェストゥムから隠れていた竜宮島、フェストゥムが人間から隠れていた偽竜宮島という構図になっています。
関係性、状況、そしてそれが壊れてしまうきっかけなど、全てがシンクロしているといっても過言ではありません。
この状況の上で攻撃に移った竜宮島サイドと、それによって壊滅させられる偽竜宮島。ここだけを見たらどちらが悪なのかわかりませんね。