柴田と未来人田村は違和感のある行動をとっています。
過去の風景を撮影している未来人田村は、柴田にカメラが見えないように柴田の後ろから撮影しているのです。
また、柴田も写真部であるのに他人のカメラに興味を示しません。
未来人田村の持つカメラに全く視線がいかないのは不自然ではないでしょうか。
この不可解な行動から考察すると、演出としてあえてそのように演技をしているものと考えられます。
そのような演出をするには、それなりの意図があるという事で、本編では語られていない秘密がそこにはあるのでしょう。
やはり、柴田は未来人田村の母親という事なのでしょうか。
田村の母親の真相に迫る
田村の母親の真相を考察するために、関連するシーンやセリフを抜き出してみます。
未来人田村の母親は、大学のOG
未来人田村は過去を散策している時に、母親を考察する上で重要な発言を映画館の前でしています。
僕のお母さんが昔よく通ってたらしいんで
僕と同じ大学だったんですよ
引用:サマータイムマシン・ブルース/配給会社:東芝エンタテインメント
このことから、未来人田村の母親は少なくとも同じ大学のOGであることが確定しました。
柴田の台詞
未来人田村を未来に送り返したあとの柴田の台詞。
でも、なんかまた会える気がするんだよね
引用:サマータイムマシン・ブルース/配給会社:東芝エンタテインメント
母親としての直感を匂わせる、意味ありげな発言です。
ハッキリとは触れてこなかった部分に、核心的な台詞を入れ込むことで、一気に展開をつくりだしています。
未来人田村のカメラ
それ、僕のです
これなくすと、お母さんに怒られちゃうんです
むかし使ってたのをもらったんですよ
引用:サマータイムマシン・ブルース/配給会社:東芝エンタテインメント
カメラを過去に忘れた未来人田村が取りに戻ってきたときの台詞。
そこで未来人田村が使っているカメラが、柴田が使っていたカメラと同じことが分かります。
未来人田村の母親は柴田なのか
いくつかの台詞や物的証拠が、未来人田村と柴田の関係性を繋いでいます。
しかし、別の可能性も考えられます。
たとえば、柴田の使っているカメラを卒業の時に写真部の後輩に譲って、その人が田村姓の男性と結婚するパターン。
可能性を考えだせば、いくらでも「柴田母親説」を打ち消すことは出来ます。
答えを出すだけではなく、こういった可能性をあれこれ考えるのも、映画の醍醐味ですね。
何度だって楽しめる作品
本作は視点によって、2度3度どころか、何度でも楽しめる作品に仕上がっています。
学生時代にくだらないこと、何の生産性もないことに夢中になり、無限かと思える時間を浪費する。
この作品は、そんな多くの人が経験したであろう、騒がしく懐かしい時間を追体験できる名作です。