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1991年公開の『おもひでポロポロ』は、私はワタシと旅に出るをテーマにしたジブリ作品です。
難解なストーリーとも言われている本作ですが、タエ子が「いい子」と引き換えにしたものにフォーカスを当てて考察していきます。
なぜタエ子は父親にぶたれたのか、ラストで見せる子供たちの表情は何を意味するのか、奥深い謎に迫っていきましょう。
「いい子」と引き換えに犠牲にしたもの
タエ子は小学5年生の時も27歳の今も「いい子」を演じています。
そんな彼女は「いい子」と引き換えに失ったものがありました。
犠牲にしたのは「自由」
本作は「いい子」からの卒業ともいえる物語です。
私子供の頃からそんなんだったの
ただいい子ぶっていただけ
引用:おもひでぽろぽろ/配給会社:東宝
タエ子は自分がいい子ぶっていたことを明かしています。
「いい子」という存在でいようとするのは、誰しもが経験することではないでしょうか。
タエ子は無意識のうちに「いい子」である自分を作り上げ、その枠に閉じ込められてしまったのです。
彼女は「いい子」と引き換えに自由を失っていたといえるでしょう。
なんとなく務めた会社、意味もなく流れていく日常、27歳のタエ子はそんな日常に息苦しさを感じていたのかもしれません。
本当にやりたいことを見失っていた
小学5年生の女子達は、男子よりも大人で「いい子」に描かれています。
実際、男子はいつまでも子供だといわれています。
女子は「いい子」に捕らわれやすいものなのかもしれません。
タエ子もそんな女子のひとりです。
あのころから何も変わっていないのかもしれない
引用:おもひでぽろぽろ/配給会社:東宝
本当は男子のようにはしゃぎたかったのかもしれません。しかし女子は「いい子」であるべきだという気持ちがブレーキをかけます。
タエ子には自分がやりたいことを我慢するという癖がついていたのです。
ついには本当にやりたいことはなにか、見失ってしまったのでしょう。
世間からみた「いい子」は、時につまらない人生なのかもしれません。
トシオは「いい子」じゃなかった
タエ子が山形の田舎で同じ時間を過ごしたトシオは「いい子」とは対照的な存在です。
トシオの存在は対照的
彼は、会社を辞めて自分のやりたいことをやっています。
大変大変っていうけど、一生懸命やってる仕事なら大変でない仕事なんてないでしょう?
引用:おもひでぽろぽろ/配給会社:東宝
トシオにとっては、大変なことも楽しむことが出来るのでしょう。
タエ子とは対照的に、トシオは自分の意志をもち自分なりの生き方をしています。
タエ子はそんなトシオの姿をみて、自分のいい子ぶった生き方を見直すきっかけになったはずです。
「いい子」を捨てたタエ子
タエ子が「いい子」のままだったら、最後に電車を降りることはなかったでしょう。
これまで通りに大人しく電車に座っていたはずです。
しかし彼女は「いい子」の皮を破り捨てたことで、自由に飛び立つことが出来ました。