ヴィンセントとマックスは人格も人生も対照的な2人です。それだけにほんの数時間の濃密なときの中で互いに強い影響を与え合いました。
品行方正な小市民マックス
L.A.のタクシードライヴァー・マックスは清貧を絵に描いたような男です。
最初の客・検事のアニーには自分が薦める最短ルートで時間がかかればタダ乗りでもいいと持ちかけます。
そして実際に早く着いても幸運だったとしか言いません。
この最初のシーンでマックスの高潔さが伝わります。普通タクシードライヴァーはできるだけ長くお客さんを乗せてより稼ごうとするものです。
しかしマックスは最短ルートを取って乗客のメリットを優先しています。しかも自分の有能さをひけらかさず謙虚な姿勢で。
マックスは貧しくも高貴な人間性を備えているのです。しかしこの美点が逆に災いして、次の乗客ヴィンセントに気に入られてしまいました。
ヴィンセントの宇宙視点
ヴィンセントは殺し屋の自分を正当化するように極めて大きな人生観を持っています。
誰かを殺しても数十億人の人類の人口が1人減っただけだという具合です。
ヒロシマの原爆被害やルワンダ大虐殺まで持ち出しました。そんな言葉を聞く中でマックスの考えも変わってきます。
ヴィンセントの大きな考え方には人生に変化を起こすポジティブな力もありました。
宇宙の大きさに較べればたった1人の人生なんてチリのようなものだ。ならば当たって砕けろでもっと色んなことに挑戦していいんじゃないか。
マックスはそんな考え方になり、それまでの夢を語るだけで実際は堅実すぎる人生を反省します。
そうして殺し屋ヴィンセントの使い走りになった現状に対しても、ある驚くべき方法で打開しようとするのです。
マックスがヴィンセントに与えた影響
人間関係とはほとんどの場合、双方向に影響を与え合います。非情な殺し屋ヴィンセントもまた小市民マックスによって心変わりしてゆくのです。
殺し屋の中に秘められた母性愛
この映画で最も驚くべきシーンは、ヴィンセントがマックスの入院中の母を見舞うところでしょう。
殺し屋が人質を取っている最中にそんなことをするのですから一歩間違えばコメディにもなります。
ヴィンセントは、人質のマックスに普段どおりの行動をさせることで自分の犯行を隠蔽しようとしていました。母の見舞いもその一環です。
が、そこにはヴィンセントの秘められた人間性も感じられます。人を虫けらのように殺す彼にも母性愛だけは特別なものだったのかもしれません。
その後、マックスはとんでもないことをしてヴィンセントを激怒させます。しかしヴィンセントは彼を殺しませんでした。
それも入院中の彼の母を見舞ったことが大きな要因になっていたはずです。
心の奥底にある大きな欠落
マックスがヴィンセントを驚かせたことがあります。タクシーの運転中、マックスは車を止めて一匹の野良犬が通り過ぎるのを待ちました。
ヴィンセントはまるで別世界に放り込まれた子供のような顔をします。彼はおそらく善人が1人もいないような過酷な境遇で育ったのではないか。
そんなことも感じさせるシーンでした。マックスはまたヴィンセントに何か大きなものが決定的に欠けているとも指摘します。
ヴィンセントはそれを笑い飛ばすだけでしたがその表情は引きつっていました。その欠落とはおそらく人に対する共感力ではないでしょうか。