つまり、童話から自由曲へと形を変えた『リズと青い鳥』は主人公2人が成長するための教科書の役割も担っているのです。
この作品の透明感はどこからくるのか
主人公の2人は重なり合わない存在(disjoint:異なる素数)として描かれ、共依存の関係が見て取れます。
そして2人は自分という存在を他者を介して理解していく過程で葛藤を経験します。
その葛藤を丁寧に描く今作品。
いったい、この透明感はどこからくるのでしょうか。
葛藤が生じさせる透明感
葛藤という言葉は「もつれ」だったり「悶着」という意味を持ち、むしろ透明感とは遠い位置にある言葉のように思われます。
ですが「ごちゃごちゃ」していることが逆に「透明感」を演出する材料になっています。
葛藤を感じさせるシーンの1つに、希美はみぞれに対して嫉妬や劣等感を持ちながらも自分のそんな気持ちに気づかないふりをしています。
そのような自分の態度が青い鳥(みぞれの才能)を鳥籠に閉じ込めてきたことに気づき、ますます自分を哀れに感じてしまいます。
一方みぞれは「自分には何もない」と思っているため、自分にないものをたくさんもった希美に対して憧れに似た依存をしてしまっています。
その様が青い鳥(希美)が自分のもとから去らないように「相手を大切にしすぎる」リズとして描かれています。
中学生や高校生になると「将来」を考え、自分そのものを分析したり、他者を通して自分の輪郭を確認したりし始める時期でもあります。
そんな時期の「まだ何者でもない自分=真っ白なキャンバス」であること。
そして日々の葛藤を通して真っ白なキャンバスに色を置いていこうとする少女たちの姿が、観る側に透明感を感じさせるのではないでしょうか。
美しさと儚さが同居する青春の苦さ
希美はエンディング直前のシーンで、みぞれが自分のパーソナルな部分を好きとは言ってくれるけれど「希美のフルートを好き」とは言ってはくれないことに気づいてしまいます。
今一番言って欲しいことを言ってもらえなかったことで、自分の才能に折り合いをつけてしまう残酷なシーンでもあります。
それに対し希美が「みぞれのオーボエが好き…」と言ったのは、自分が言ってほしかったのはこの言葉なんだと相手に気づかせるため。
と同時に、みぞれの青い鳥(才能)を大空へ解き放つ希美の愛の在り方を表す今作で最も美しさと儚さを感じさせるシーンとなりました。
こうして、お互いを鳥籠に閉じ込め合う共依存の状態から脱して、異なる道を歩み始めることを選択します。