出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B003EVW582/?tag=cinema-notes-22
“The departed”は、2006年度アカデミー賞最多4部門受賞作品です。
レオナルド・ディカプリオとマット・デイモンの名優の演技に加えて、ジャック・ニコルソンのハマり役が光るサスペンスドラマ。
最後までハラハラと目が離せないアクションが見どころですが、単なる勧善懲悪のドラマには終わりません。
映画につけられた表題の意味は何を差すのかを考えながら、映画に込められたメッセージを読み解いていきましょう。
ディパーテッドの訳
表題の出典”The departed” を単純に訳すと「去っていったもの」「旅立っていったもの」となります。
意訳すると「この世から去っていったもの」「旅立っていった魂」などが考えられます。
ギャング映画ですから、もっと砕けた言い回しで「逝っちまった奴」の方がよりふさわしいでしょう。
では、この「逝っちまった奴」いうタイトルには何の意味が込められているのでしょうか。
それとも何かの伏線でしょうか?
ギャングストーリーの舞台背景
舞台はアメリカのボストン南部のダウンタウンです。
イタリア人・黒人・アイルランド人が入り乱れて生存をかけて互いに凌ぎを削っている世界が、実際の乱闘の映像とともに描かれています。
マフィアが跋扈し差別や暴力が蔓延する中、生き馬の目を抜くような生存競争が繰り広げられるのです。
生きるか死ぬか・やるかやられるかのマフィアと警察の闘争に、神経がすり減る主人公ビリー。
誰がスパイで、誰が信用できるのか、裏切りにつぐ裏切りと酷い暴力に疲弊していきます。
陰陽の両曲面
冒頭にマフィアのボス・コステロの声で、次のように語られています。
環境が人を作る。
引用:ディパーテッド/配給会社:ワーナー・ブラザース
ボストンのこの地では、生きるか死ぬか、暴力を振るうか振るわれるか、支配するか支配されるか、二択で生かされている悲しさがあります。
しかし本当に2つの対立軸で人は生きているのでしょうか。
善と悪は表裏一体
警官になるやつは銃が好きなのさ。
引用:ディパーテッド/配給会社:ワーナー・ブラザース
このようにビリーが言います。
確かに警察は正義を守る権力の中枢です。
けれど支配や争いの世界の住人ということでは、マフィアも警察も変わらない人生を選んだ人たちといえます。
神父
神父や尼僧の神に仕える人たちとコステロがレストランで遭遇します。
悪党と善の人たちという対比の中で、小児性愛や同性愛の性癖が指摘され、過去の性的な関係も露呈しました。
善の裏には必ず悪がある、悪がなければ善を追求できない。つまり善と悪は同じ世界で生きているとはいえないでしょうか。
精神科医
同様にコリンの恋人の女医でさえも精神不安定な部分を持ち合わせているからこそ、人を助けたいと考えている人なのでしょう。
彼女が繊細な人なのはコリンに振り回される様子から見て取れます。
やはり救う側と救われる側は表裏一体で同じ場所にいる存在なのです。
マフィアに潜入するビリーと警察に潜入させられているコリンはどちらも人を欺いているという意味では同じ窮状に立たされています。
裏切りの世界で生きなくてはならない同じ宿命を生きる者のように捉えられるのです。
本当に大切なものは
対立する二者が善と悪の形を取っていても結局は同じ穴のムジナなのだと気づかされます。