愛を渇望するあまりに、いつしか依存体質になっていったと考えられます。
愛されていることを確信した松子の狂信的な愛情
やくざ者になってしまった教え子との愛は、いつも相手に依存していた松子が、自らの考えを押し通して行動した数少ない機会でした。
相手の愛を確信した時の松子は、身も心も尽くします。たとえそこが地獄でも一緒にいたい。
松子は、孤独がなによりも怖かったのです。
あまりに激しい松子の愛情はやがて男の重荷になっていくのですが、この狂信的な欲求はどこから生まれるのでしょうか。
幼少期から一貫して松子の恐怖は孤独であることでした。
父親から愛されていないと感じた時は、何とかして、父親の気持ちを自分に向かせようと懸命に変顔になりました。
男に対しても同じなのです。
どうしようもないダメ男とわかっていても、ひとりになりたくない気持ちがあふれて、関係をつないでおきたいと必死になります。
いつも誰かに愛されていたい感情は、幼少期のトラウマともいえるでしょう。
松子は愛を追い求め、愛されていると確信した瞬間から、相手を離したくないと狂ったような振る舞いや行動に出るのです。
「ただいま」と「おかえり」はひとりではない証拠
物語の中に何度か出てくる「おかえり」というセリフは、松子の心境をひも解くキーワードだと考えられます。
ひとりじゃないことを端的に表現しているのでしょう。
人とのつながりの基本形「おかえり」と「ただいま」
松子にとって、「ただいま」と「おかえり」はひとりではないことを証明する手段だったと考えられます。
松子は妹にいつも「おかえり」と言われていたことを、妹が亡くなった後に気が付くのです。
「お姉ちゃんは一人じゃないよ、私がいるよ」
妹が一番の松子の理解者だったのかもしれません。
幸せを感じる天国への階段
最後の最後に、妹からの「おかえり」が本当に松子の気持ちを癒やすことになりました。
天国への階段を上る松子の表情には安堵(あんど)と幸せが感じ取れます。
松子を天国で迎える妹の「おかえり」は、お姉ちゃんやっと幸せになれたねと言っているようです。
「ただいま」と呼応する松子。家族のつながり、人とのつながりをずっと求め続けた松子が解放される瞬間でした。
なぜ松子はダメ男ばかり引き寄せてしまったのか
タイトルの「嫌われ松子の一生」は言い方を変えると、だれからも嫌われたくない松子の物語といえないでしょうか。
男たちから見れば、松子は持って生まれた美貌と愛されたいがためにどんな男の言葉も安易に信じ尽くし続ける都合の良い女です。
そんな松子には幼少期からのトラウマから過剰に愛を求める悲しい性があったのです。