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2010年11月に公開された映画「ノルウェイの森」。
原作は「ハルキスト」と呼ばれる熱狂的ファンも多い作家、村上春樹による同タイトルの小説です。
1987年に発刊された赤と緑の装丁が印象的なこの小説。
当時社会現象を巻き起こし、多くの言語に翻訳され刊行部数1000万部を超えるベストセラーとなりました。
そんな日本を代表する傑作小説の映画化を指揮したのは、ベトナム出身フランス育ちのトラン・アン・ユン監督です。
彼の手によって詩的な美しい映像で映画化された本作。
しかし公開前から話題性が非常に大きかったために、内容のカットや性的表現などで賛否両論を巻き起こすことになりました。
ここではさまざまなシーンの意味を原作に頼ることなく考察していき、ラストにワタナベがどこにいたのかまで追っていきます。
生と性
賛否両論を巻き起こした要因の一つである性的な表現は、この作品に欠かすことのできない特徴であるといえます。
キズキや直子の「死」がフォーカスされることにより浮かび上がる「生」。
若く繊細な登場人物たちにとって「生」が「性」に大きく影響されていること。
そしてそこに密接な結びつきがあることを汲み取れるか否かで作品の印象が大きく変わってしまいます。
単なる思春期の欲望を文学的な雰囲気で描いた映画、といった感想を持ってしまいかねないのです。
直子にとっての性の重み
直子が精神を病んでいったのはキズキの死が原因であることは間違いありません。
そこに2人の間にあった性の問題が拍車をかけます。
「キズキとは一度も寝なかったの?どうして?」
引用:ノルウェイの森/配給会社:東宝
このワタナベの言葉でワタナベからも外の世界からも離れていき、立ち直る努力はすれども最終的に死を選んでしまった直子。
心から愛していた人を身体が受け入れられなかったという「性」の不条理。
これが直子にとっては「生」を壊すほどの影響力を持っていたことを観客は見せつけられます。
直子の中にある「生」と「性」の結びつきの強さが土台となり、性的表現が深い意味を持つこの作品の世界感が形づくられているといえます。
ワタナベとレイコ
直子の死後、身体を重ねるワタナベとレイコ。
「そうするべきだと思う」
引用:ノルウェイの森/配給会社:東宝
ワタナベから本気なのかと聞かれたレイコのこのセリフ。
「べき」という強い言葉から、この行為は彼らが直子の死から自分たちの生へ、自分たちのありかを切り替えるための行為であると推測できます。
キズキの死の謎
理由の語られない自殺
観客にとってはワタナベや直子と過ごす穏やかな日々からの突然の出来事。
しかも最後まで真相が語られないため、その理由は想像しようにも手がかりが少なすぎます。
「生」と「性」が密接に結びついている作品の中での自殺。