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本作は市川拓司原作の『恋愛寫眞 もうひとつの物語』を2006年に実写映画化した作品です。
お気づきの方もいるかと思いますが、2003年公開の『恋愛寫眞』と基本が似ていながらも違う話となっています。
主演は玉木宏と宮崎あおい。個性溢れる実力派俳優達が情感たっぷりに瑞々しく演じたことで、非常に評価も高いです。
ここでは静流が手紙を残した心情や彼女の病気がもたらしたもの、そして誠人がそんな静流の嘘につきあう理由。
そうした物語の意味を考察していきましょう。
「光」と「闇」
「ただ、君を愛してる」を読み解く上で、まず理解しておかなければならないのは「光」と「闇」というモチーフが用いられていることです。
「光」と「闇」というモチーフ自体は古今東西用いられますが、本作における「光」と「闇」の関係性は少し特殊なものとなっています。
それは誠人と静流が「闇」から少しずつ解放されていき「光」へとたどり着く物語になっているということです。
「光」と「闇」というと、よく「光」が「正」で「闇」が「負」のイメージで扱われることが多いでしょう。
しかし、両者は本来表裏一体のものであり、光が強くなればなるほど闇もまた強くなるのです。
では、本作の「光」と「闇」が具体的にどのように物語として表現されているのかを考察していきましょう。
「闇」に生きる二人
「ただ、君をしている」における誠人と静流、二人は交差点で信号のない横断歩道で出会ったことがきっかけで恋に落ちます。
お互いの存在を知るまで孤独に生きており、明示されてはいないものの、「闇」の世界に生きていたといえる二人です。
今ならさしずめ「陰キャラ」という言葉で形容される感じでしょうか。兎に角表に目立つような存在ではありません。
そんな二人はまた人物像もまた一癖も二癖もある存在なのです。
子供じみた「嘘つき」と大人びた「正直者」
静流は大学生の割には凄く子供じみた子として描かれています。ことあるごとに誠人に食ってかかるのです。
素朴なことは素朴ですが、深い大人の魅力があるわけではなく、兎に角非常に「幼さ」が目立つ子でした。
一見素直そうな性格ですが、実はよく誠人に対して「嘘」をつきます。子供とは思えない位策士です。
一方誠人は名前が示すように見た目も性格も大人びた人として描かれています。それはもう静流とは好対照をなす程に。
しかし、決して洗練された大人ではなく、人見知りで嘘もまともにつけず、静流に兎に角振り回されます。
「子供」と「嘘つき」、「大人」と「正直者」という相反する要素が複雑に同居したアンバランスさが二人の魅力です。
「闇」の象徴としてのコンプレックス
そんな対照的な二人はお互いに「コンプレックス」を抱えているという点で似た者同士でした。
誠人は腹部に病気を抱えており、そこから匂いがすると勘違いしてしまい、それ故に人見知りで友達が中々出来ません。
一方の静流も凄く子供じみた肉体と精神持ちというコンプレックスを抱えています。
二人は当初誰かの輪に入ることなく、静かでやや暗い森の中で過ごすことが多く二人きりの世界で完結しています。
序盤の段階では二人が「闇」の世界に生きた住人であることをコンプレックス持ちという形に準えて描いているのです。