出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00FIWMJ2M/?tag=cinema-notes-22
「カッコーの巣の上で」は1962年に発売された同名ベストセラー小説を元にした1975年の映画です。
いわゆるアメリカン・ニューシネマの流れを汲んでおり、体制に反抗するアウトローの活躍と自由を描いています。
それと同時に、社会と人間の在り方も問うなど非常に深い作品でもあるのです。
アカデミー賞主要5部門を独占した傑作映画を今回は考察していきます。
患者たちの救世主であるマクマーフィー
閉塞的な世界に暮らしていた患者たちに新しい世界を見せてくれたマクマーフィー。
彼がいかにして精神病棟のなかで救世主になっていったかをお伝えします。
患者たちとの友情
詐病で入院してきた健常者・マクマーフィーは精神病棟にいる患者たちの姿を見て驚きます。
異常であることを驚くのではなく、ちょっと個性が強いだけの彼らが、薬やルールで縛られていることに対して驚くのです。
病棟内でマクマーフィーは自分を貫き通し、それによって次第に周囲も変化しはじめます。
ビリーやチーフ、チェズウィックは特に「自由に振る舞うこと」の象徴であるマクマーフィーに影響を受けるのです。
彼らと心を通じ、短期間で交流を深めた結果、危険人物とみなされ注目されることになります。
本当に変なのは自分か社会か
個々の自由を認めようとせずセラピーを強要する病院は、ルールを用いて市民をコントロールする社会の縮図に見えます。
従順にルールを守るものが尊重され、それに反するものは除外されることになるのです。
社会を守る上でルールを尊重されるべきですが、行き過ぎたルールは人を縛り付けます。
マクマーフィーは反体制の象徴であり、権力や体制、不自由の象徴である病院(社会)と戦うのです。
自由民主主義の象徴であるマクマーフィー
本作が主張したいのは病院の不自由という狭い観点だけではありません。
大きく捉えると、自由民主主義の存在を脅かすすべての存在に対して、NOを突きつけているのです。
マクマーフィーは自由民主主義、病院や婦長は社会主義や共産主義と言った個人を尊重しない社会を示しています。
これ社会主義国家だったチェコスロバキアから脱出してきたミロス・フォアマンだからこそ描けた要素なのです。
フォアマンは両親をホロコーストで亡くすなど、つらい経験を経て監督になりました。
これらの経験をもとに、自由を守るべきというメッセージを伝えられる作品が生まれたのです。
ラチェッドの存在について
厳しく患者を管理し、統制している管理主義の象徴として描かれているラチェッド婦長。
彼女の描かれ方からラチェッド婦長という存在の与える影響力などについて語ります。
患者への影響力で争う婦長とマクマーフィー
管理されている患者たちはグループセラピーで発言することもなく、自由意志も見えません。
ラチェッド婦長は常に患者の弱みをコントロールし、反論を許さないほど管理しているのです。
この無気力状態に対して、変化になったのがマクマーフィーでした。彼の自由奔放な姿は患者たちに影響を与えます。