直接に描かれていないだけで、「ジョニーは戦場へ行った」の看護師はナイチンゲール=白衣の天使という象徴なのです。
そんな彼女が居たからこそジョーは一時的といえど安心出来、死ぬという決断を直ぐには選ばなかったのでしょう。
看護師と軍人
ジョーは死を選べなかったわけですが、その要因としては看護師と軍人の存在もまた大きくあります。
彼らが本作においてどのような存在であったのか?この点からもまた理解が必要でしょう。
天使と悪魔
上記した看護師をナイチンゲール=白衣の天使の象徴とするなら、軍人達は正に「悪魔」の象徴だといえます。
非常に古典的な「天使と悪魔」というキリスト教のモチーフがここにも描かれており、かつ両者は本質的に同じ存在なのです。
ジョーの望みを果たせなかった看護師も、そしてあらゆる尊厳を奪い取った軍人もジョーにとっては残酷過ぎます。
そしてまた皮肉なのが天使たる看護師がジョーを殺そうとし、逆に悪魔たる軍人達が彼を活かす道を選んでいることです。
「天使と悪魔」というモチーフを用いつつ、一人の名もなき元兵士の肉塊を巡って逆転しました。
ここもまた本作を見ていく上では欠かせないものとなるでしょう。
看護師が伝えたかったこと
看護師はクリスマスの夜、ジョーの胸に「MERRY CHRISTMAS」というメッセージを書きました。
表向きは勿論ジョーに今がいつなのかを知らせる意味があったのですが、果たしてそれだけなのでしょうか?
本当にただ時系列を知らせるためだけならば「CHRISTMAS」とだけ書けば良いからです。
敢えてMERRY(陽気な、楽しい)と付け加えたのはジョーへの好意は勿論「生きて欲しい」という思いがあったのではないでしょうか。
最終的にモールス信号による訴えで殺そうとしたとはいえ、看護師としてはやはりなるべく患者に生きていて欲しいものです。
楽しいクリスマスを思い出すことで、少しでも彼が前向きになってくれれば、彼と一緒に生きられるかも知れない。
単なる男女の情愛を超えた純粋な博愛としての強い心情がこの指でのメッセージから読み取れます。
ジョーの末路に見る医学の限界と矛盾
悲痛な訴えも虚しく、ジョーは結局死ぬことを許されませんでした。
ジョーの訴え通りに死なせればジョーは楽になりますが、同時にそれは自殺を肯定し、また医者が人殺しということになりかねません。
そして逆にジョーを自身の意思に反して延命させることもまたジョー自身が望む「死」という自由意志を妨げることになってしまいます。
こうしてみると、人を救うこと、生き延びさせることが必ずしも最良の結果をもたらすわけではないと分かるでしょう。
ついつい人は「生きること」にこそ価値があるとし、現代医学もまた「生きること」に最大の価値を見出しています。
しかし、生老病死という言葉にもあるように、生きることには常に「老い」「病」をはじめ様々な苦しみもまた伴うものです。
そしてどんなに優れた医療技術をもってしても「死」という運命を避けることは出来ません。
ジョーの「死ねない」末路はその意味で医学の敗北であり、同時にこういう悲惨さを生んでしまう人間の残酷さをよく示しています。
権威が常に正しいとは限らない
いかがでしたでしょうか。
「ジョーは戦場へ行った」は戦争映画、反戦映画として必ずしも完璧な映画とはいえないかもしれません。
しかし、一方で極めてミクロな視点の圧縮された人間関係の中で教えられることもまたありました。
それは軍人や看護師のような権威が必ずしも民衆の正しき味方であるとは限らないということです。
圧倒的な正義とは弱き者を守る一方、今回のように無自覚に弱き者を傷つけてしまう諸刃の剣でもあります。
そしてまた人間にとって「生き延びる」ことと「死に急ぐ」ことのジレンマは常に終わらず生きていく中でつきまといます。
そうした「生と死」という極めて基本的かつ普遍的なテーマを戦争兵の悲惨な末路を通して描ききってみせました。