馬鹿げた夢であろうとも信じ、実現していくレイが共感を呼ぶのは、演じたケビン・コスナーの演技力もあるでしょう。
天から聞こえる声、啓示は神のお告げとも解釈できます。
この神の声というのは、自身の心にある内なる声、本当の望みだと解釈できます。
主人公レイも、父との関係という心のわだかまりがあり、どこかで和解を望んでいました。
シューレス・ジョーはレイに彼が来ると告げ、父親のジョンの到来を告げました。
レイは、あれは君の声だったのかと問います。ジョーはこう答えるのです。
「いいや、あれは君の声さ」と。
謎の声の正体は、レイ自身だったという解釈もできますね。
ラストシーンの光の列とトウモロコシ畑
映画のラスト、選手たちはトウモロコシ畑の向こうへと帰っていきます。
シューレス・ジョーは、テレンスを誘うものの、レイには残るようにいいます。
なぜレイは畑の向こうに誘われなかったのでしょうか。
夢と許しの関係
野球賭博に関わったとされるシューレス・ジョーをはじめとする悲運の8人は、今も野球殿堂入りは果たしていません。
しかし、この作品中では、過去の罪が問われることなく野球場に立ちます。
謎の声が神のお告げならば、この行為は悔い改めた者たちへの許しともいえるでしょう。
そしてレイもまた衝突した父を許し、ジョンも息子レイを許します。
罪を背負った者もいつか神が許しを与える。
そんな物語に対して共感を求めました。
観客は、映画に神にあたる存在です。
謎の声の正体は、神の声であり作者の声だったのかもしれません。
そして、選手たちとレイの罪を許す観客たちの内なる声という考え方もできます。
ラストシーンの光の列
トウモロコシ畑にある球場は、夢のような場所だといえます。
ラストシーンで描かれている光の列。
あの輝かしい光たちは、名選手たちが集う、夢の場所・スタジアムへ向かう人々たちのことを表しているのです。
まとめ
「フィールド・オブ・ドリームス」は、夢や赦しについて考えさせられる深い作品といえるでしょう。
- 現在、夢を追いかけている人
- 過去に失敗をしてしまった人
- 許せない人物がいる人
さまざまな人に向けたメッセージを感じ取りながら、再び映画を鑑賞してみるのもおすすめです!