アニャが生きている頃からレナの体にはすでに8の字が出現し始めているので、生きているアニャの要素がレナに取り込まれたとしても不思議ではありません。
しかし当のアニャは、シマーに入る前からあの入墨を持っていたのでしょうか?
アニャの性格からして、指紋が動く以上にあのような大きな入墨が浮き出てくればきっともっと騒ぐはずです。
とすると、最初からこの入墨を持っていた可能性が高いといえるのではないでしょうか。
残念ながらアニャとレナが初対面をした出発前の段階では、入墨の有無は画面上確認できません。
ですのでレナの入墨は死んだ男のものともいえるし、アニャのものともいえるのでしょう。
男の過去は不明ですが彼の入墨も、もしかしてシマーに入る前からあったものかもしれないのです。
物語は引き継がれる
とすると、このようにも考えられるのではないでしょうか?
そもそものシマーの始まりは、もっとずっと前なのではないかということです。
この物語はシマーが灯台に発生するずっと以前から、すでに起こっていることかもしれないと考えることができるのです。
ウロボロスのように、映画で描かれたレナに起こった一部始終ですら「始まりと終わりのないもの」のなかにあるといえるのではないでしょうか。
入墨は最終的にレナに引き継がれます。
抱き合った2人の瞳はあやしげな光を放ち、この2人の肉体がまさにシマーそのものとなるのです。
そして今度は外界と接触し、まさにウロボロスのように無限大に増殖を始めるのということを示唆していると考察できます。
そうなると、物語はまた最初に戻るのかもしれませんね。
エイリアンの意味とは?
親と赤ん坊の関係
シマー内部で起こる現象の中でおそらく最も不可解かつ戦慄する場面は、映画後半のエイリアンの登場ではないでしょうか?
そしてこのエイリアン現象は、ウロボロスの2番目の意味である「一は全、全は一」の世界観を表したものになっているのです。
シマーでは、さまざまな細胞が種を超えて野放図に結合し分裂します。
やがてそれらが最終段階を迎え飽和状態になると、おそらくそこから第2の自分のようなものを外側に誕生させるしくみになっているのでしょう。
ウロボロスの世界観を象徴
エイリアンは確実に自分の要素を一部含んだ、完全に別の個体です。
ただしここでは人間世界のように1対1での生殖から生まれるのではなく、1人の生命の中に雑多なものが入り込んでの誕生です。
ここに、ウロボロスの「一は全、全は一」という世界観がはっきりとあらわれています。
それはまるで私たちにある日子供が誕生し、その親子関係の成立を見ているようでもあります。
最初は模倣から、そして次第に似てはいても別々のものになっていくからです。