あの頃、少なくても心は純粋だったリトル・シャロンに「ブラック」が戻った瞬間でした。
このシーンは様々な悩みを経て今ここにケヴィンといる自分が自分と認めた瞬間と捉えて良いのではないでしょうか。
シャロンの自己確認という重要なシーンはフロリダの輝く陽光の中ではありませんでした。
あくまでも優しく静かな月の光の中で、となっているのは黒人であり性的マイノリティーの世間での立場を表しているようです。
もしこれが白人の物語であったら、太陽の光が降り注ぐ中でのシーンになったのではないでしょうか。
静けさの中に込められた強いメッセージ
人種差別・LGBT・貧困・ドラッグなど暗い問題を絡めた映画。
しかしそれらがメインテーマでないことは作品を観た人なら分かるはずです。
観る者を試す
この映画は物語の派手さや起承転結はあえて省かれているようです。
私達は無意識に「どんな感動のシーンが待っているのだろう」と身構えて観る癖がついているのかもしれません。
しかしこの作品ではそのような期待は裏切られます。
フアンがいつの間にか死んでいたり、シャロンの獄中での心境を一切綴らなかったのも意図的だと考えられます。
シャロンが何を考え、どんな変化が起こっているのかを彼の表情や外見で判断せざるを得ません。
それはまるで私達の力量を試すかのようです。
静かに進むストーリー
社会問題を背景にしながらもそれらを解決するわけでもなく、シャロンの人生を描いています。
そこには自分の道は自分で決めろというフアンの言葉と合致しているのではないでしょうか。
自分の身の回りで起きる出来事に人生を左右されていたら、自分の道を自分で決めたことになりません。
もし貧困や性の問題に立ち向かうというありがちな作品なら、それは境遇に自分の道を決められているということでしょう。
コントラスト
境遇と映像
シャロンは無口で本音を吐き出すことはありません。
外界をシャットアウトして自分を守ろうとする意思がうつむいた表情からうかがえます。
もしかしたら暗く閉ざされた未来を見ないようにしていたのかもしれません。
それとは対照的に映像は鮮やかで美しい。だからただの暗い映画という印象を与えることがないのです。
恵まれない境遇をテーマにしているわけではないことが映像美によっても分かるのではないでしょうか。
シャロンとケヴィン
シャロンと同じ学校に通っていたことから、ケヴィンの置かれた境遇はシャロンとかけ離れていたわけではないと思われます。
出所後にドラッグディーラーになったシャロンは環境に流され、人に流されたといえるでしょう。
一方ケヴィンは貧しいながらも安定した生活を送っていました。