何とより少ない賃金で働けというのです。もし危険人物と判断したらその時点で村から追い出すのが筋ではないでしょうか。
そこを敢えて低賃金で匿うとしたところにトムのグレースに対する歪んだ欲望が窺え、同時に掟自体も形骸化しました。
「郷に入れば郷に従え」という諺がありますが、それは村社会の掟がきちんと定まり崩れない平和な時のみです。
ましてや外の世界を知らない閉鎖的な価値観で育ったとなればそのようになってもおかしくありません。
欲望には限りがない
トムが提示した交換条件を皮切りに、どんどん村社会の価値観は崩壊し、人々はグレースを欲望のはけ口にします。
グレースがミスをするだけで罵詈雑言を浴びせられ、更にチャックは警察を建前に脅迫し彼女を強姦してしまったのです。
こうなると人間の理性、建前、道徳、倫理といったものはただ欲望を正当化するための惹句でしかなくなります。
一度欲望を解放してしまうと留まるところを知らず、それが村全体となれば誰も止める術はないのです。
村長が威厳を失ってしまった村社会はもはや崩壊の一途を辿る他はありません。
大どんでん返し
こうして際限のない村人達の醜い争いは複雑に縺れ合った結果凄惨な悲劇を生み出してしまいます。
果たして、終盤に待ち受けていた大どんでん返しはどのようなものだったのでしょうか?
二重の裏切りに見るトリアー版「サイコ」
ラストに待ち受けていた大どんでん返し、その一つが何とグレースがギャングのボスの若娘だったのです。
しかもこの種明かしにインパクトを持たせるために村人に疑心暗鬼を生じさせていたのも丁寧です。
この前振りがあることで、それまで無条件にグレースに感情移入出来た視聴者もまた裏切られた格好となります。
同時に「善人だと思われた人が実は大悪党だった」を巧妙に利用した点で「サイコ」にも通じているのです。
用意周到な仕掛けで終盤の過激なラストを成立させたことにより、視聴者は二度裏切られたことになります。
人間を信じたかったグレース
グレースが家出した真の理由は人間の命を何とも思わない父の非道なやり方に嫌気が差したからでした。
しかしその「人間」の象徴であるドッグヴィルの村人達は欲望、偽善、悪意に満ちた存在だったのです。
ここで期せずしてグレースは父のやり方に共感を覚えてしまい、その結果好きだった筈のトムまで射殺します。
人として超えてはならない一線を超えたグレースはこの瞬間にギャングとして生きる覚悟を定めたのでしょう。
犬だけが生き残った理由
ラストシーンではチャックの犬だけが生き残り、犬の鳴き声だけが全焼した村に虚しく響きます。
グレースはチャックの犬だと気付いていながら、その犬だけは殺すことを避けたのです。
この理由は詳しく語られていませんが、少なくとも動物愛故に殺したくないという慈悲ではないでしょう。
あれだけ信じたかった村人達に散々な扱いを受けた挙句復讐に身を窶したのですから。