彼女が自由奔放で明るい人に振る舞うのはベス程愛して貰えないという寂しさの反動であったことが伺えます。
彼女はそういう意味で元々躁鬱になりやすいテンションの極端な人だったのかも知れません。
衝撃のどんでん返し
しかし、後半では対照的な姉妹の性格に関してどんでん返しが待ち受けていたのです。
実は16年前母が暴漢二人を殺したというのはベスがでっち上げた架空の話でしかありませんでした。
現実は何と母が殺され、ベスとヴェラは暴漢二人に監禁され暴力を振るわれていたのです。
前半に見せていたベスとヴェラの性格はベスが小説向けにデフォルメしたものだったことが分かります。
根っこの性格は二人とも変わらないのですが、ヴェラが精神を病んでしまった理由が暴行を受け続けた結果でした。
そしてここからラストへ向けて怒濤の大逆転劇が待ち構えているのです。
タイプライターを指差した意味
前半とまるで違う現実が後半で示された後、二人の姉妹は協力して逆境から生き延びようとします。
そしてラストでは意味深に母が二階から投げ捨てられたタイプライターを指差すカットが示されます。
果たして、それは何を意味していたのでしょうか?順に読み解いていきましょう。
空想へ逃げ続ける虚しさ
現実が明らかとなった後半でも、ベスは度々小説家として活躍している自分という空想へ逃げました。
彼女が精神を完全に病まずに済んだのはこの逞しい空想力にあったともいえます。
しかし空想は所詮空想、現実の行動として実践を伴わないとただの絵に描いた餅です。
そこで初めてベスは現実に立ち向かうことの大切さ、そして空想へ逃げ続ける虚しさを知りました。
この瞬間ベスは一人の少女から大人の女性になる覚悟を固めていたのでしょう。
極限状態で試される人間の精神力
暴漢二人に虐待され続ける二人を通して描かれているのは極限状態における人間の精神力です。
「ゴーストランドの悲劇」はホラー映画としては不思議な位、幽霊やトリッキーな恐怖はありません。
核はあくまでも理不尽に襲いかかってくる現実に打ちのめされ、それに立ち向かう人間の姿です。
こうやって極限状態に追い込まれたときこそ、その人の真価・本性が試されるといいます。
様々な仕掛けを作りながらも、最終的に炙り出されていくのはそうした人間の本質だったのです。
意味深なラストシーン
そして遂に救世主の如く現われた警察が暴漢二人を射殺し、無事二人は苦境から解放されました。
運ばれる救急車の中で、ベスは二階の窓からタイプライターを指差す母親を見ます。
このタイプライターは小説家を目指すベスにとって何よりも大切なものだったのでしょう。
母の幻影がそれを指差したのはベスが無意識の内に自分の夢を親に応援して欲しかったのかもしれません。
ベスはこの母親の幻影にどこか承認欲求にも近い様々な思いがあったのではないでしょうか。
散りばめられた伏線
「ゴーストランドの惨劇」では様々な伏線が回収されていきますが、本筋の他にも幾つか暗示的な伏線があります。
ここではその伏線について、その意味を検証してみましょう。