彼は決してカツベンに嫌気が差したわけではありません。ではなぜ山岡ほどの逸材が落ちぶれてしまったのでしょうか。
それはやはりカツベンの未来を悲観したのが理由だと思われます。彼はカツベンに人生を捧げ、日々カツベンについて思考していたのでしょう。
そしてカツベンが不要になる日が近いことに気付いてしまったのです。ショックだったはずです。酒で気を紛らわせないとやってられなかったでしょう。
落ちぶれたのは彼がカツベンを心から愛していたからだと考えられます。
時代の移り変わり
「永遠に変わらないものなど無い」とよくいわれます。カツベンがもてはやされていた当時も、その移り変わりには勝てませんでした。
映画界の変化と女性の活躍が進んでいたこの時代、カツベンと女優の未来は正反対だったようです。
この時代の流れに、俊太郎と梅子の関係は耐えられたのでしょうか。
消えゆくカツベン
山岡が語っていた通り、映画がサイレントであるうちしかカツベンは活躍する場がありません。そうしてカツベンの時代は過ぎ去ろうとしていました。
しかしそんな未来が見えていても俊太郎がカツベンを止めることはないでしょう。
自分の話を面白がって聞いてくれる人が一人でもいる限り、彼は続ける意志を持っているように見えます。
それとは対照的に女性の映画界進出は希望が溢れているようです。
女性の映画進出
男性だけが出演できる映画はもはや時代遅れになりつつありました。徐々に女優が活躍し出し、梅子の未来は明るいことは間違いありません。
同じ映画に携わる仕事を目指していながら、明暗が分かれた二人を嘲笑うかのようです。
この明暗の分かれは、まるで彼らが別れる運命だったことを暗示しているようにも見えます。
俊太郎はカツベンを、梅子は女性の映画進出を表すキャラクターになっているのでしょう。
「カツベン!」まとめ
日本の映画が無声映画だった時代に、映像に息を吹き込むカツベンは庶民の娯楽として人気を博しました。
海外ではチャップリンが活躍していましたが、それに声をあてるなんていう発想はなかったようです。
そう考えると、カツベンは日本人の知恵と「もっと映画を楽しみたい」という貪欲さが生み出したといえます。
このような日本の独特の文化を誇るべきではないでしょうか。
海外を模倣するだけでなく、日本発のアイディアが今求められているのかもしれません。