そしてそこに誰よりも彼を心配し待ってくれた茶沢が居てくれたこと、これに尽きます。
ここでずっと住田の心を蝕む毒であった茶沢がいつの間にか良き理解者となっていたのです。
即ちここで住田にとって茶沢は「母親」になっていたのかもしれません。
住田と茶沢のその後
こうして、自殺を踏みとどまった住田は警察に自首することになりました。
果たして二人の将来はどうなったのでしょうか?
震災に伴って変わった結末
「ヒミズ」原作では住田は自殺し元に戻ることはなく絶望のまま終わりました。
しかし、映画では震災後だからこそ希望を持って強く生きて欲しいことから自殺は踏みとどまりました。
この結末は賛否両論ですが、しかし絶望的な状況だからこそ生きる希望を捨ててはいけません。
だからこそ、たとえ嘘くさくなっても前向きに生きることを選択したのではないでしょうか。
少なくとも依存はない
二人のその後は分かりません。服役した後出所して再会したのか、それとも殺人罪で死刑か…。
いずれにしても死ぬことを踏みとどまり普通・平凡であろうとし続けたのだから最悪の事態はないでしょう。
ややもすれば依存になりやすそうですが、茶沢は住田に自首を勧める理性は残っています。
だから決して駄目男とダメンズウォーカーのような悪い依存関係ではないはずです。
「起きろ」と叫んだ住田の心情
住田は父を殺した後に「起きろ」と絶叫しましたが、その心情を読み取るのは複雑です。
色々解釈はありますが、まず一つにはまだ十分に恨みを晴らせていないという不満でしょう。
保険金目当てで息子に「死ね」と浴びせてきた父ですから、死なれては困ると思っていたに違いありません。
そしてもう一つが殺すつもりなんてなかったのに殺してしまったという恐怖・後悔ではないでしょうか。
上記したようにその後自殺も他殺も出来ず、最終的に自首したことからも明白です。
そうした複雑な思いがあの絶叫には籠もっていたのではないでしょうか。
絶望してる人なりの生き方
「ヒミズ」は住田祐一を通して絶望している人にも絶望している人なりの生き方があることを示しました。
そして彼の生き様は当時震災の後遺症で絶望に打ちひしがれていた状況と重なるところがあります。
しかし、だからといってそれは人生を諦めていい理由には決してなりません。
どんなに辛くても死という選択肢を安易に取っては行けないのです、それが綺麗事といわれようと。
だからこそ、様々な批判などはあれど住田が自殺を踏みとどまったのは大きな意味があります。
そんな普通・平凡であることの尊さ・良さを逆説的に教えてくれる作品です。