だからこそ余計にネイディーンはマイナスエネルギーをこじらせてしまったのではないでしょうか。
大人への入口
ネイディーンはこうしたこじらせを通して大人への入口は何かを学びます。
彼女がぶつかっていった先に待ち受けている大人とは何なのでしょうか?
“大人は判ってくれない”は場合による
ネイディーンは”大人は判ってくれない”という思い込みに囚われ、それが全ての足枷となっていました。
一つ但し書きしておかなければならないのはその思い込みが決して間違いとはいいきれないことです。
確かにネイディーンがここまでこじらせた挙句に事態をややこしくしているのは間違いないでしょう。
とはいえ、彼女にばかり非があるわけでもなく兄と付き合ったクリスタをはじめ周囲にも原因はあります。
ブルーナー先生にしてもアーウィンにしても、本当に心底から彼女を受け入れようとしたのでしょうか?
そう、あくまでもネイディーンにとって周囲の人達は「他人」でしかありません。
ネイディーンのこじらせをきちんと受け止め、向き合ってやれなかった彼らにも落ち度があります。
判ったつもり程怖いものはなく、寧ろ本作ではそのせいでここまで事態がこじれたのでしょう。
母性の象徴であるブルーナー先生の妻
そんな複雑化した事態の収集のきっかけとなったのは間違いなくブルーナー先生の妻でした。
ネイディーンを否定せず、ただ黙って聞き入れ慰めてくれた彼女は間違いなく母性の象徴です。
ネイディーンが求めていたのは正論をいってくれる人でも答えをくれる人でもありません。
ただ静かに受け入れ聞いてくれる人、優しさを示してくれる人だったのです。
そしてここで初めてネイディーンは如何に自分の視野が狭かったかに気付かされます。
大人になるとは価値観の視野を広げることでもあるのです。
ネイディーンのその後
ネイディーンは最後自らの過ちに気付き、兄と和解し自立を果たします。
果たしてその後はどうなっていくのでしょうか?
親からの自立
まず一つ目につくのは母からの送迎ではなく、自分の自転車で学校へ行き始めたことです。
これは即ち「親からの自立」という一つの通過儀礼でしょう。
父の死以後ずっと誰かに支えて貰わないと生きられなかった彼女がとうとう自立を果たしたのです。
その証拠に母からの電話に出なくなってアーウィンが作ったアニメ映画鑑賞会へ行きました。
彼女は親からの自立を果たすことで一つ自分の殻を破ることが出来たのです。
アーウィンとの関係
そして一番気になるのはアーウィンとの関係でしょう。果たして二人はどうなったのでしょうか?
話の流れから見ていくと、恋人同士になったと考えるのが筋でしょうが結末は曖昧です。