さらにステージ上でグデグデになり客に悪態をついた上、転倒してしまう醜態を見せるジュディ。
引用:ジュディ 虹の彼方に/配給会社:GAGA
ろくなパフォーマンスも出来ず、当然その後のステージはキャンセル。つまりクビということです。
悄然とするジュディに、バンマスのバートと世話役のロザリンがジュディのためにカフェでささやかな誕生会を開いてくれました。
二人が用意してくれたホールケーキを前にして、躊躇するジュディの歪んだ笑顔を見逃すことは出来ません。
映画の世界に入ってからというもの、甘いもの、特にケーキなどはご法度中のご法度だったジュディ。
その甘いケーキが、自分のために目の前にある。もう誰にも遠慮なくケーキを好きなだけ口にすることが出来るのに。
何故か笑顔が引きつってしまいます。
ジュディの困惑したような笑顔の裏には少女時代から染み付いてしまった彼女の歪んだ人生の一部が透けてみえるのです。
自分を理解してくれる人たちとバースデーケーキ
人生で自分の思い通りに事が運んだ記憶がないジュディにとって、目に前のケーキは「辛かった人生そのもの」に見えたのでしょう。
しかし、ジュディのボロボロの舞台を懸命に支えてくれたバンドリーダーのバート、ステージマネージャーのロザリンがいました。
ジュディの周囲にいた人々は彼女を利用し金儲けを目論む人ばかり、あるいはジュディに愛を求めようとする人ばかり。
今、バースデーケーキの向こう側にいる二人は、ジュディの事を心から心配してくれています。
そんな心情に触れたことの少ないジュディの顔に浮かぶ笑顔。
「私を心配し、愛してくれる人がいる」という安らぎの笑顔だったのでしょう。
舞台の上での作り笑顔は得意なジュディ。
しかし、ここでのそれは困惑の中から生まれたものの本心からの、真心からの満面の笑顔であったに違いありません。
そしてそのケーキからは、「自由と愛情の味」が甘さと共に口に広がり、驚いたのではないでしょうか。
その驚きは以下のように考察できると思われます。
バースデーケーキは人生の苦悩のメタファー
先述のように、デビュー当時から、ダイエットのためケーキを口にすることを許されなかったジュディ。
ケーキが大好きだったジュディなのに自分の誕生会のケーキすら食べることは許されませんでした。
恐らくデビュー以降47年間の人生でケーキを口にする機会が全くなかったとは思えません。
しかし、自分を信頼してくれるバートとロザリンが用意してくれたケーキは全く意味が異なっていました。
このケーキを前にしてジュディにはこれまでの人生が一瞬走馬灯のように駆け巡ったのではないでしょうか。
一口のケーキからでた「美味しい」という言葉の裏には、ジュディの47年間の苦悩が集約された深い感情を読み取る事ができます。
そうしてみると、このバースデーケーキはジュディの人生の苦悩の重要なメタファーそのものだったといえるのでしょう。
ラストに「オーバー・ザ・レインボー」を選んだ真意は
すでにロンドン公演はクビになり、ロニー・ドネガンの舞台になっていました。そこに、一曲だけ歌わせてと現れたジュディ。