憧れ続けてきた往年のスターと同じように。
村田はこれからも、映画俳優としての自分のマジックアワーに巡り合う日を待ち続けるのでしょう。
マリはなぜ天塩を選んだ?
マリは、ギャングのボスの愛人として天塩の元で囲われることを拒否し続けていました。
それなのに彼女はなぜ、最後に天塩と共に生きることを選んだのでしょうか?
マリと天塩の逃避行の理由を考察します。
天塩の本心
冷徹なギャングのボス、天塩ですが、村たちが仕掛けた一世一代の大芝居を前についに想いのたけを明らかにしました。
それは彼の、本心からのマリへの愛。
ギャングとしての地位をすべて失った天塩は、我が身を呈してでも彼女の未来を守ろうとします。
天塩の本心とは、ただただ愛する女性マリが幸せでいることを望むものだったのです。
そしてそれを引き出したものこそ、全力を賭した村田の殺し屋演技でした。
マリの心を揺らしたもの
一方でマリの変化は、天塩の深い愛を知る前から実は始まっていました。
当初からお金にがめつく、自己中心的な振る舞いを続けていたマリ。
しかし、備後や村田たちが天塩に捕えられた際、彼女は自由を投げ打ち彼らを助けに駆け付けます。
彼女の行動の裏には、夏子の説得がありました。
マリは夏子の言葉に気付かされたのでしょう。
自分には、本心から情熱をかけるものがないことに。
あるいは彼女の脳裏には、生涯をかけて映画を愛する村田の姿がよぎったかもしれません。
自分には熱い情熱を捧げるものはなかったとしても、夢を追う村田のことは助けてやりたい。
そんな思いをマリは抱いたのではないでしょうか。
マリが本当に欲しかったもの
夏子に心を揺らされたマリは、はじめて人のための行動を起こす決心をしました。
そして、天塩が身を呈して自分を守ろうとする様を見た彼女に、その瞬間が訪れます。
彼女は自分が本当に欲しかったものが何かに気が付きました。
それは、自分を心から想い、必要としてくれる誰かでした。
そのためマリは天塩を選び、ふたりは逃避行へと走り出すこととなったのです。
誰にでもその時は訪れる
考えてみれば、村田というキャラクターには哀切を感じさせるものがあります。
映画という夢に取りつかれ、芸歴だけはベテランなのになかなか芽の出ない彼。
しかし同時に、純粋に好きなものへ自分のすべてを捧げる様には、潔さも感じることができます。
夢を追いかける人、そして諦めた経験のある人にとって、それは眩いものではないでしょうか。
ドタバタなコメディ作品、『ザ・マジックアワー』。
しかし本作は一方で、人間ドラマとしての深みも持ち合わせています。
それは村田のひたむきさが、観る人の胸に響くものを持っているためではないでしょうか。