マイケルは3年前に同じ悲劇に見舞われているにもかかわらず、忘れてしまっているのです。
恐らく3年間事故平和に暮らせていたことが彼の中から危機意識を奪い去っていたのでしょう。
もっともマイケル達に限らず一部を除けばほとんどが自分は大丈夫と思っていた節があります。
そうした危機意識の欠如をマイケル達を使って示したかったのではないでしょうか。
死亡フラグ
そしてその中でも死亡フラグを地で行ったのがティナとエドのバカップルです。
この二人は何と自分たちのヨットの上で乳繰り合った挙句肉体関係に及んでしまいます。
ホラー映画の鉄則として危機意識を忘れ肉体関係に及んだ者は死亡するのです。
このバカップルは見事にそのセオリー通りの運命を辿ってしまいました。
しかしこれも結局は命に対する危機意識の欠如が引き起こしたのです。
仲間割れで試される人間の本性
そして一番の見せ場がケーブル基地の近くまで来たときに起こった仲間割れ寸前の一人一人のリアクションです。
特にジャッキーが喚き散らす所や市長の息子が癇癪を起してしまうところが悲劇の真意を示しています。
人間、極限状態に追い込まれたときにその人の本性がよく出るもので、彼らの本性がしっかり出ました。
極限状態に追い込まれ狼狽えて冷静さを失う、つまり如何に普段ぬくぬくと平和に暮らしていたかの裏返しです。
大事なのはこういう極限状態に追い込まれても動じない冷静沈着さであり、彼らにはそれが足りませんでした。
数多くの人間が悲劇に見舞われる中でそうした極限まで追い込まれた時の対応力が見られているのです。
だからこそ終盤ではブロディやショーンたちの冷静さが際立つ構造になっています。
本当の安全などどこにもない
そんな本作のサバイバルが教えてくれることは本当の安全などどこにもないということです。
ブロディやショーンら一部の人間だけがそのことをきちんと分かった上で行動していました。
人間社会で作られたまやかしの安全保障などこうした自然災害や時代の変化で簡単に崩れます。
今が平和だとしても少し目を向ければその裏には底知れない危険や脅威が存在するのです。
安全そうな場所程寧ろ常に危機意識をもって生活することが大切だと本作は教えてくれます。
備えあれば憂いなし
本作は前作に比べるとパニックそのものよりパニックを通した人間側の反応に重きが置かれました。
そして結果は平和ボケし危機意識が欠如した者と危機意識をもって行動した者に二極化しています。
何十年前の作品ながらこうした危機意識の欠如や準備不足がどれ程命取りになりうるかといういい見本です。
その観点で見るとき、本作は事前の備えと危機意識がしっかりしていれば狼狽えず済むと教えてくれます。
大事なのはそれを普段から意識して出来るようにするか否かです。
サメだってあくまでも自然の脅威、その強大な力の前に人間の力は余りにも小さすぎます。