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『アナベル』シリーズのゲイリー・ドーベルマンと『死霊館』シリーズのジェームズ・ワンが手掛けたホラー映画「ラ・ヨローナ ~泣く女~」。
2019年に公開された本作は、メキシコに伝わる怪談”ラ・ヨローナ“がもとになっています。
自らの手で2人の子どもたちを溺死させた母親ヨローナ。ソーシャルワーカーとして働くアンナの子供にもヨローナの魔の手が伸びます。
どこからともなく聞こえて来る彼女の泣き声に怯えるアンナ達は、神父ラファエルに助けを求めることに。
アンナと子供は彼女から無事逃げ切ることができるのでしょうか。
今回は、ペンダントの存在・アンナが水たまりを見たラストシーンの意味を読み解きます。
ペンダントの存在
生前のヨローナは、子どもたちからペンダントをもらいました。
思い入れが強かったから、クリスが渡そうとした時に優しい顔に戻ったのです。
ヨローナにとってこのペンダントの存在とは、どのようなものだったのでしょうか。
愛情の深さ
このシーンから、ヨローナがどれだけ子どもたちを愛していたかが窺えます。
彼女は子供憎さに殺したわけではありません。本当は殺したくなかったし、我に返った彼女が自殺するくらい愛していた存在だったのです。
憎しみに駆られて襲いかかるヨローナを、一瞬で母親の顔に戻したのですから、それほど思い入れのあるペンダントだったはずです。
母親の象徴
ペンダントがあるからこそ、ヨローナはヨローナでいられたのだと思われます。
子供を失った悲しみで暴れているのだという同情を誘う意味もあるのではないでしょうか。
仮に最初からペンダント無しで暴れていたら、ただのタチの悪い霊です。
あのペンダントがヨローナに母である証を与え、その上他人の子供を襲う言い訳も作れるのだと考えられます。
子供より美貌が大切
そこまでペンダントに思い入れがあり、母の顔に戻してくれるのであれば、鏡によって鬼の形相に戻らなくてもいいのではないでしょうか。
鏡を見た時は母の顔だったはずですから、怒りは再燃しないと思われます。
ですがこの時彼女が鏡に映るだろうと想定していた顔は、若くて美人な時の自分の顔。
実際の自分の顔とのギャップに愕然とし、「これは私じゃない」と怒ったのかもしれません。
彼女は母としての顔よりも女としての顔を求めていたのだと考えられます。
また鏡に映った顔が鬼の形相だった場合でも、子供のことを思い出したことで、「こんなに怒り狂った自分ではダメだ」と思い直せたはずです。
我が子に申し訳ないと思っていたのなら、なおさら怒りを鎮めることができたでしょう。
そう考えるとヨローナは我が子より美貌を優先する自己中心的な人物だったことが分かります。
ヨローナと2人の女の共通点
ヨローナはパトリシアとアンナを襲いましたが、この被害者2人は偶然ヨローナに目をつけられたのでしょうか。
もしくは何かヨローナとの共通点があったのかもしれません。
自己中心
ヨローナは浮気した夫への当て付けに我が子を溺死させました。