柱の背丈を刻んだ跡にすずも加わった時、すずの表情から硬さが取れていました。
こうして一つずつ心の扉が開いていき四姉妹になっていったのです。
海辺の四人
二ノ宮さち子の葬儀の後、三人の姉たちは「お父さんはダメだったけど、優しい人だったのかも」と言いました。
波打ち際を歩く四人は互いを思いやる『四姉妹』であり『家族の絆』を感じます。
ゆっくりですが確実にすずは本当の妹になっていくのです。
何気ない会話に『癒し』を感じる理由
この物語のどこに『癒し』を感じるのでしょうか。
ストーリーに大きな波があるわけではありません。
もちろん「父親が亡くなる」ことや、「新しい妹ができた」ことは大きいことかもしれませんがそれは癒しではないでしょう。
癒しを感じる理由、それはキャラクターとキャスティングが素晴らしいからなのです。
誰にでもある心の中の小さなわだかまり、当人には大きくても他人から見ればそれほどでもないことはよくあります。
長女の責任感、次女の奔放さ、三女の末っ子的な甘え感を三人が見事に演じ分けていますし、異母妹の孤独感も見事でした。
それによって、観る人の環境が四姉妹の誰かとリンクして癒されるのでしょう。
幸の言葉に佳乃が反論するシーンでの会話などまさに私たちが知る日常です。
すずの言葉にも彼女が生きてきた中での出来事を感じます。
ストーリーの中で四人の誰もがその全てをすっきりと解決させたわけではありません。
しかし、人生は本来そういうものではないでしょうか。
迷い悩む日常の中に少しだけ感じる微かな光、それが『癒し』の正体です。
この映画の目指したところはこの『癒し』を可視化することではないでしょうか。
なぜ見飽きないのかを徹底考察
普遍的な日常をテーマに描いたこの作品ですが、最後のロールタイトルまで見飽きることがありません。
何気ない会話が織りなすこの作品の小さな出来事が大きく心を動かします。
親に捨てられた姉妹
姉妹は皆『親に捨てられてしまった』人たちです。
そんな心に傷を持つ姉妹たちが力強く生きていく日常には感情移入させられます。
なぜそんな気分にさせられるのでしょう。
それは彼女たちが『今までどう生きてきたのか』を感じるからです。
長女の幸が母のようにふるまう理由や、佳乃が『ダメ男』と付き合った経緯も全部知っている気になります。
父との思い出が少ない千佳の寂しさやすずの孤独も手に取るようにわかるのです。
これらは映画の中では具体的には描かれていません。