出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07ZTPK5GW/?tag=cinema-notes-22
本作はベル・エポック、パリの黄金時代を舞台に「差別と偏見」について真正面から挑んだ作品です。
「キリクと魔女」「アズールとアスマール」で有名なミッシェル・オスロ監督の中でも渾身の一作でありましょう。
独特の3Dアニメーションは勿論、主人公達の吹き替えを新津ちせと斎藤工が担当したことも話題となりました。
その完成度の高さから以下の賞を受賞しています。
第44回セザール賞アニメーション映画賞
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ディリリとパリの時間旅行
その映像美と舞台設定から難解で高尚な物語と思われがちですが、中身は非常に単純明快な勧善懲悪の物語です。
ニューカレドニア出身の混血少女ディリリがパリの裏で横行する悪党に立ち向かっていきます。
本稿では少女を救出できた理由をネタバレ込みで考察していきましょう。
そしてまた悪党団の正体やコレットが作品を自分名義で書くと言った意味についても掘り下げていきます。
夢の時代
まず本作の舞台となっているベル・エポックという時代背景について軽く触れておきましょう。
この時代は日本における明治維新同様今現在に至る文明・文化がフランスのパリで花開いた時代でした。
本作に登場するキュリー夫人、ピカソ、ロートレック、オペラ座のエマ・カルヴェに大女優サラ・ベルナール。
今でも歴史に名を残す天才と鬼才が揃う時代はまさに「夢の時代」といってもいい程に光り輝いていました。
しかし、光が強いということはそれだけ闇も深くなり、強烈な文化の発展の裏で犯罪をはじめ争いごとも起きます。
良いことと悪いことは常に同じ位の熱量をもって交互に起きるものであり、本作はパリの裏側に焦点を当てたのです。
夢の時代とは裏返すと深い絶望もそれだけ大きくあった時代であり、その点に着目して見ていきましょう。
少女を救出できた理由
本作の一番の見所はやはりラストのディリリが少女たちを救出する場面のカタルシスです。
彼女自身も一度悪党たる男性支配団に浚われたのに何故救出が可能となったのでしょうか?
あらすじを追いながらしっかり考察していきます。
勇敢で自立心が強い
まず一点目にディリリ自身が非常に勇敢で自立心の強い少女として描かれていることが挙げられます。
特にそれが顕著に出ていたのは一度脱出するために汚れも厭わず下水へ飛び込んだシーンです。
普通のか弱い女の子にはこのような勇敢さはなく、殆どの少女達が精神面で屈していました。
でも彼女は例え男性相手でもたじろがず、自らの意思で行動することを信条としています。
ディリリは恐らく天性の直感で自分がどう行動すれば良いのか分かっているのでしょう。
その勇敢さ、自立心の強さが彼女の芯を作り上げているのです。
一人の力じゃない
少女達がラストでディリリの救助を褒めたとき、きっぱりと否定しました。
私一人の力じゃない
引用:ディリリとパリの時間旅行/配給会社:チャイルド・フィルム
ディリリは決して自らの活躍を驕ったりせず、仲間達の力があってこそだと立てる謙虚さがあります。
確かに彼女が少女たちを救うことが出来たのは友人オレルをはじめ沢山の仲間達の力添えがありました。
下水から脱出するために二人の力を借りたり煙突の形から敵の基地を割り出したりと様々です。
サラやキュリー夫人ら大人達の力もまた大きく影響したからこそ救出が可能となりました。
本作の素晴らしい所はこうした仲間・大人の良さが物語にきちんと反映されているところです。