だからこそベンジャミンもまたそのことに苦悩し何度も別れることになります。
再婚した家庭の中で暮すことが出来なかったのもそれが理由です。
挫折や失敗を見られたくない
二つ目にデイジーはパリで骨折してしまいバレエダンサーの仕事が出来なくなってしまいました。
ベンジャミンが見舞いに来たとき拒絶したのは挫折や失敗を見られたくないからです。
決して嫌いだったのではなく愛しているからこそ弱さを見せられなかったのではないでしょうか。
女性も男性も好きな人の前ではついつい格好をつけて弱い部分を見せたくないものです。
老いへの恐れもまた自分が年老いて贅肉がついてだらしなくなる体を見せたくないからでしょう。
デイジーはベンジャミンにとっていつまでも憧れの愛する人でありたいと思っていたのかも知れません。
死への恐れ
そして三つ目が絶対に訪れる死への恐れ、これはもういうまでもないでしょう。
しかもデイジーの場合ベンジャミンが若返るのに自分が老いて死んでいくのが余計にその恐怖を煽るのです。
どれだけ途中で得るものがあっても最期に死という形で全てを手放さないといけません。
ずっと孤独に生きてきたベンジャミンはその辺の割り切り方や向き合い方が凄く冷静でした。
対してデイジーはそのように割り切った生き方が出来る人ではなかったのです。
だからこそ彼女は最期に赤ん坊となったベンジャミンを抱きしめる形で死への恐れを消化したのでしょう。
人生賛歌に見せかけた残酷な物語
こうして見ていくと、本作は決して生きることそのものの素晴らしさを安直に説いていません。
否、寧ろ生きることには様々な苦難や挫折が伴い、常に神からの試練に晒されているのです。
ベンジャミンとデイジー、二人の愛は決して綺麗とはいえませんし失ったものも沢山あります。
だからこそその残酷さはリアリティーとして貫かれ、しかしその中でも彼らは自分達の生を全うしました。
決して人生を肯定も否定もせずに冷静に、しかしどこか暗さを伴って描いたところに本作の魅力があります。
運命は決められている
こうして見ていくと、本作は非常に凝った大人向けの作品であることが分かります。
ベンジャミンとデイジーの人生は決して胸を張って良いものだとはいえません。
また、ベンジャミンの若返りが必ずしも肯定的に描かれておらず孤独や悲しみの方が出ています。
この作品で語られていることは運命は予め決められておりそれに逆らうことは出来ないということです。
しかし、その運命を決して悲観するのでも諦めるのでもなく、受け入れて自らの意思と成していきます。
その時に有限な形あるものが無限な形のないものへ昇華されるかもしれないということが語られているのです。
どんな人生を送ったとしても常に愛と孤独といった“想い”は永遠に残り続けます。
そのことに深くまで迫り描ききったことこそ本作の名作たる所以ではないでしょうか。