第二次世界大戦後に人々の暮らしは徐々に回復しつつも、貧富の差が明確になってきた時代でもあります。
そんな先の見えない不安定な時代だからこそ、監督は物語の結末を観る者に託しているのでしょう。
このままいがみ合うことが正しいのか否か、結末は観る者が判断するべきものなのです。
敵対するグループが示すもの
劇中に登場するジェット団とシャーク団は、何を象徴する存在なのでしょうか。
同じ不良グループでありながら、両者は大きく違っています。
リフがリーダーのジェット団
登場するジェット団(ジェッツ)のメンバーはポーランド系、イタリア系の移民白人で当時の社会では差別の対象となっています。
自分たちの恵まれない境遇を大人のせいにして、悪の中で生きるしかないと後ろ向きな姿勢が目立ちます。
彼らの生き方は幼いという言葉が似うように、若者ならではの反抗的な生き方ともいえます。
人種的差別の発言がめだちますが、他人に不満をぶつけることで自分たちへ向けられた差別を回避し、逃げているようにも感じます。
観る者がジェット団に対し「悪」を感じるのは、作者であるアーサー・ローレンツがシャーク団の視点で物語をみていた為といわれています。
彼は当初、マリアを自分と同じユダヤ系アメリカ人に設定しようとしていたのです。
ベルナルドがリーダーのシャーク団
プエルトリコ系移住者のシャーク団(シャークス)は、観方によっては被害者にさえうつります。
「よそ者」という扱いを受け、ジェット団に鬱憤晴らしをされているともいえるでしょう。
当然不良グループの集まりなのですが、劇中で明確な「悪」として描かれてはいませんでした。
対立しているとはいえ、彼らもまたアメリカでの扱いに不満を感じていることはジェット団と同じであり、社会的立場の低い人間なのです。
第三者の視点からは、自分たちの場所を争うというのは些細なことかもしれませんが、彼らにとっては大切な居場所だったのではないでしょうか。
対立を描く世界観
本作がつくられた冷戦時代は、西と東という対立が当たり前のように存在する時代です。
劇中で対立するジェット団とシャーク団はまさにこの東西を象徴する存在のようにも感じます。
憎しみが憎しみを呼び、連鎖する不幸を嘆くことしかできない…。
なぜ憎しみが続くのか、この映画ではそれを明確に示しているのではないでしょうか。
敵対しつつも共通する弱さ
ジェット団とシャーク団は、共に 社会的な弱者として描かれています。