本作が重点を置いたのは「復讐そのものの是非」ではなく「復讐の決着の付け方」にあったのです。
復讐心を受け入れて我が物としたからこそラストシーンが爽やかに見えるのだと推測されます。
新時代の幕開け
そしてホーキンスへの復讐を果たしたことは新時代の幕開けをも意味していたのではないでしょうか。
いってみれば本作が描いたものは一つの「革命」であり、小さな形とはいえ二人は見事成し遂げました。
とはいえホーキンスを倒しただけで彼らの起こした革命が良いものになったかは分かりません。
革命はそれを成し遂げる瞬間よりも成し遂げた後そこにどのような社会を作るかが大事なのです。
復讐の先にクレアとビリーは何を見るのかという不安もまたそこに入り交じっていることでしょう。
ビリーがホーキンスを殺した理由
上述したように、ビリーは最初から復讐心を持っていたのではなく、途中で芽生えさせました。
その結果ホーキンスを殺すに至ったのでですが、普段温厚で優しい青年のビリーからは考えられません。
クレアや他の人物との関係も含めて見ていきましょう。
先住民族としての白人への嫌悪感
まずビリーの行動目的の根源にあったのは先住民族アボリジニとしての白人への嫌悪感でした。
前半ではそのこと故に白人のクレアに対する先入観と偏見があって打ち解けられずにいたのです。
わだかまりは徐々解けたものの、だからといって白人の全てを許したわけではないでしょう。
自分ではどうしようもない社会全体の問題として差別され続けてきたという過去があります。
まずその根深い民族同士の差別問題が根底にあることで土台が構築されているのです。
クレアの復讐劇を目で見た
最初のきっかけはクレアの娘を殺したジャゴへの復讐を目で見たことでした。
ここでビリーはクレアが抱えている複雑な思いやピリピリした殺気の正体を知るに至るのです。
興味深いのはビリーが決してクレアの復讐を批判せず、現実として理解を示し協力したことでした。
ビリーがクレアのことを仲間として信頼し始めたのもここで、これがビリーの心に火をつけたのでしょう。
一足飛びに復讐へ至るのではなく、段階を踏まえて描いているのが非常に好感が持てます。
同胞チャーリーを殺されたこと
この二つの下地があった上で決定打となったのが同胞チャーリーを無残にも殺されたことでした。
これは皮肉にもかつてクレアが経験したトラウマをビリーが経験した形となるのです。
普段の言動や性格を鑑みるとビリーは根っこは凄く明るい好青年で滅多なことでは起こりません。
しかし、自分の大切な人や大事にしている仲間が傷つけられたり殺されたりしたときは別でしょう。
彼は自分のことではなく他者のことで初めて怒りを露わにするタイプであることが窺えます。
上官の前で悪行を暴露した意図
そしてもう一つ見逃せないのがクレアがホーキンスの前で悪行を暴露したシーンです。
ただの復讐目的ならばここまでする必要はなく、しかも町中だから公開処刑になりました。