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映画『それだけが、僕の世界』は2018年公開の韓国映画で兄弟愛をテーマにした作品です。
チェ・ソンヒョン監督を中心にイ・ビョンホンとパク・ジョンミンを主演にして制作されました。
ずっと孤独な生き方をした元ボクサーの兄ジョハとサヴァン症候群を抱えながらも愛されて育った弟ジンテ。
ひょんなことから偶然の再会を果たした二人の人生がまた交わっていくまでの軌跡が本作の見所です。
本稿ではハン・ガユンがピアノの連弾を始めたシーンの真意をネタバレ込みで考察していきましょう。
また、母インスクがジンテを溺愛した理由やラストに兄弟が手を繋いだ意味も併せて読み解きます。
愛玩子と搾取子
本作は表面上生き別れた兄弟の絆がテーマのようですが背景にあるのは「愛玩子と搾取子」です。
即ち溺愛された弟ジンテと一方的に捨てられたジョハを通して母インスクが如何に酷い毒親かが窺えます。
もっとも一番酷いのはインスクを含め家族をそんな状態へ追いやった服役中の父なのですが…。
単なる生き別れの兄弟愛という綺麗事だけではないシビアな現実が作品全体をどこか重苦しく見せているのです。
またそのような家庭環境を作り出す母の心理なども深く掘り下げながら考察していきましょう。
ピアノの連弾を始めた真意
再会したジンテとジョハは交通事故がきっかけでガユルと不思議な繋がりを持つことになりました。
ジョハがガユルの屋敷で持ち前のピアノの才能を始めると、ガユルはなぜか連弾を始めたのです。
このシーンには果たしてどのような真意があったのでしょうか?
ジンテの才能への感動
まず一つ目は純粋にジンテの才能への感動があったのではないでしょうか。
ガユルはジンテが自分に憧れてピアノをやるようになったことを演奏で示してくれたのです。
そこにガユルは芸術の高みを目指す者としてジンテの才能に光るものを見出したと推測されます。
真の芸術家は言葉ではなく作品で示すといいますが、ジンテも正にそのタイプだったのでしょう。
つまりこの連弾のシーンはジンテとガユルがピアノを通して魂で理解するという意味があるのです。
障害者を口実にしない
二つ目にガユルはサヴァン症候群という障害持ちを口実にしないジンテに心動かされたのです。
ガユルも交通事故で両足が義足となったからピアノを一度は諦めてずっと心を閉ざしていました。
しかしジンテは知的障害を抱えながらも決して後ろ向きにならず前向きにピアノを弾き続けます。
いってみればガユルにとってジンテはもう一人の自分という鏡像として映ったのではないでしょうか。
ジンテの障害をものともせず心からピアノを楽しむ姿にガユルは惹かれていったのです。
どん底からの逆転
そしてこの連弾はその後のガユルとジンテのピアニスト人生を大きく変えることになりました。
ガユルはジンテの才能をより光らせる為にジンテをコンクールに出すことを決意するのです。
とはいえ決して順風満帆ではなくジンテの演奏はガユルのコピーで創意工夫がないと一蹴されます。
ですがガユルもピアノを弾き始めたことで母もまたジンテを特別賞受賞者にするよう働きかけました。