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2019年に公開された日本映画『デイアンドナイト』は非常に特殊な位置づけの作品です。
プロデュースと脚本を山田孝之が、企画・原案・主演を阿部進之介が行っています。
監督は藤井道人で明石幸次が児童養護施設の北村との出会いで豹変する人間ドラマが見所です。
正義と犯罪の狭間で善悪の区別がつかなくなる明石は段々と復讐の狂気へ飲み込まれていきます。
今回はバスに乗る奈々のラストシーンの意味をネタバレ含めてじっくり読み解いていきましょう。
また北村の死因や資料を持って行かなかった真意なども併せて掘り下げていきます。
正義と善悪
本作は「正義と善悪」についてアンダーグラウンドな観点から切り込んだ作品です。
父の復讐に人生を費やす幸次と昼間と夜で全く違う善悪を両極端に併せ持つ北村。
形は違えど二人ともそれが正しいことだと本気で思い込んでいる「正義」の人達です。
そんな二人の差は北村が白黒、幸次が黒一色という服装の違いにも現われています。
人の一線を踏み外し正義を暴走させた彼らが果たしてどんな所に辿り着くのでしょうか?
本作最大の特徴はそれを受け手に考えさせるところにあります。
バスに乗る奈々のラストシーンの意味
本作のラストシーンは意外にも爽やかにバスに乗る奈々のラストシーンで飾られます。
非常に壮絶な復讐の果てに辿り着いた所は意外にも光り輝く明るい所でした。
このラストシーンが意味するところをネタバレ込みで考察していきましょう。
画家としての未来を目指す
まず奈々には画家を目指すという立派な将来の目標がありました。
バスに乗るシーンはその未来へ迷いなく進んでいくことの証左でありましょう。
とはいえ、それは決して本当の意味でまっさらな明るい未来ではありません。
ほんの少し薄暗さがあり、彼女の服装もややグレーがかったものになっています。
これは同時に彼女が少女から大人の女性になる時へ差し掛かっているということです。
子供に罪はない
二つ目に奈々は逮捕され服役中の幸次へ会いに行き大切なものを守れたか聞くシーンがあります。
ここではっきりと奈々の世界と幸次の世界が分断されていることが強調されているのです。
彼女の父は北村の妻を殺したという罪がありましたが、娘の奈々には関係の無いことです。
父の罪はあくまで父の罪であって子供である奈々には何の罪もありません。
その一線がしっかり物語の理性として守られていることをはっきりと示しています。
希望とは絶望の代償である
三つ目に希望とはその裏に無数の絶望という名の代償があることを意味しているのではないでしょうか。
奈々は本作の「希望」の象徴ですが、それは幸次や北村といった大人達が「絶望」の象徴だからです。
白と黒・善と悪・昼と夜があるように希望もまた絶望と切り離して成り立つものではありません。