まず高寿の心に一番あったのは一期一会の精神ではないでしょうか。
自分にとっての初めてが愛美にとっての最後だと知ってからは明らかに態度が違います。
何をするにしても全力で愛美のためにと尽くすようになり立派に成長しました。
幾ら脚本通りといえど、全力でやりきらなくては愛美の心に何も残らないと気付いたのです。
一度会ったらもう次はなく、そして恋人同士でいることも出来ません。
だからこそその時その時で出来る愛美の「最後」を全力で演じたのでしょう。
前向きな希望
どれだけ一緒になれないと知っていても、高寿は愛美との関係をこう表現しています。
僕たちはすれ違ってなんかいない、端と端を結んだ輪になって一つに繋がってるんだ。二人で一つの命なんだ。
引用:ぼくは明日、昨日のきみとデートする/配給会社:東宝
そう、どんなにすれ違っても、遠く離れていこうとも高寿は決して愛美のことを諦めません。
時の運命で残酷に引き裂かれながらも、彼はそれに抗うように前向きな希望を生きるのです。
そのひたむきなまでの前向きさが愛美の心を動かし、最後に「また明日!」といわせたのでしょう。
最後の日であっても、一つ一つを悔いなく過ごすことでそれを永遠のものに出来ると高寿は信じています。
明日と昨日=前進と後退
こうして見ていくと、タイトルの「明日」と「昨日」がそれぞれ「前進」と「後退」を意味することが分かります。
高寿は愚直に「明日」を渇望し前進し続け未来へ進み、愛美は逆に「昨日」へと後退し過去へ戻るのです。
そんな二人の生き方や性格が恋愛映画という括りを超えてある種の哲学にさえ昇華されています。
故に高寿と愛美の関係性は単なる男女の関係だけではなく作品全体の両輪として機能しているのです。
だからこそ高寿は二人で一つ、どちらかが欠けても成立しないことを強調したのでしょう。
数々の仕掛けを上手く用いながら、作品として実に鮮やかなテーゼを生み出すに至りました。
和製版『ベンジャミン・バトン』
このようにして見ていくと、本作は和製版『ベンジャミン・バトン』ではないかとの見方も出来ます。
それぞれが別世界で5年に一度しか会えないという違いはありますが、年齢と進む時間軸が真逆なのは同じです。
両者に共通していたのはどれだけ深く愛しても一緒に居ることは出来ない運命にあること。
しかし、一緒に居ることが出来ない離れた関係だからこそ美しい物語もあると示しているのです。
その決められた運命に抗うことなく、しかし一生懸命生きる大切さを教えてくれました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は時間軸が真逆というだけで一緒に居られない二人の男女の恋愛を通した生き様を描きました。
高寿は未来へ、そして愛美は過去へ生きながら描かれる男女の本質は実に深く壮大です。
非常に切ないながらも、一緒になれないからこそ表現できる愛の美しさが表現されています。
二人で一つ、即ち未来も過去も、そして二十歳で重なる「現在」も全て含んでの人生です。
それを運命に抗わず、しかし諦めることなく生きて見せた高寿と愛美の気高さは見応え抜群でした。
単なる恋愛映画の枠を超えて、これからも映画史に残り続ける名作ではないでしょうか。