その理由は果たして何だったのでしょうか?
別れの握手
まず一つ目にこの握手は別れの握手であり、そこには友情など微塵もないということです。
寧ろこの握手はハリーなりのコナーに対する最高の屈辱だといえるでしょう。
本当にただ嫌いで無視したいのなら無言で立ち去ればよく、構う必要はありません。
ましてやハリーは優等生タイプですから、かなり意図的にそうしています。
ただ、コナーのような承認欲求の塊みたいな子にはここまでしないと意味が伝わらないのでしょう。
だからこそ屈折した形で「お前とは絶交だ」と告げる握手となりました。
試合に負けて勝負に勝った
二つ目の理由としてはハリーが結果的にコナーに対して試合に負けて勝負に勝った形だからです。
まあ流石に大怪我を負うことになることは予想外だったかもしれませんが、目論見自体は果たされています。
何の目論見かというとコナーを透明人間として孤立無援の状態にして空気扱いすることです。
承認欲求の塊であるコナーは構われなくなる孤独こそが一番の弱点となると心得ていました。
一見コナーの逆転劇を描いたようでいて、大局の部分では元からハリーが勝っていたことになります。
鏡像
そして三つ目にコナー自身がハリーの闇を投影した鏡像だからではないでしょうか。
ハリーの内面までは深く描かれていませんが、いじめっ子は家庭のストレスを学校で発散するのです。
それはいじめられっ子の弱さを見て自分自身のダメな点をそこに投影していることから来ます。
即ちハリーもコナーを見下していじめなければ精神の平衡を保っていられないのでしょう。
人間関係とはどんな形であれ多少なりとも鏡像であり、その訣別の握手だったと推測されます。
本音と向き合うこと
コナーを通じて本作が果たしたのは「本音と向き合う」こと、“よい子”からの脱却を果たすことではないでしょうか。
昔と比べると今では子供たちが一見良い子の顔をしながらも本心や素を曝け出すことを恐れています。
コナーは正に本音を誰にも話すことが出来ず、自分を誤魔化して生きるしか出来ない子でした。
そんな子が母の死という悲惨な現実を前にして全てを絞り出して、本当の自分へ戻っていくのです。
それこそがコナーという少年の最大の魅力ではないでしょうか。
少年版”アナと雪の女王”
本作はいわゆるファンタジーやおとぎ話としては非常に後ろ向きで複雑そうな題材です。
しかし、物語の筋は非常にシンプルで自分の本音と向き合い解放するコナーを描いています。
本作はそういう意味でいうと形を変えた少年版”アナと雪の女王”といえるかもしれません。
少なくとも自分の本音をずっと殺して生きてきた閉塞感に満ちた子という点は同じです。
それを本作は少年期から思春期へ入ろうとする子の成長物語という形で描きました。
見事なテーマ性と題材の融和が果たされた傑作として今後も残り続けることでしょう。