物語全体の流れとして、それまで人類の敵であったゴジラ・アースは人類の味方に収まりました。
しかし、それで終わるならば上記したようにゴジラと戦い死んだ者達の思いはどうなるのでしょうか?
無益な争いを避ける賢さも確かに人間らしいといえますが、一方で憎しみという負の感情もまた人間らしさです。
ここで簡単にハルオの負の感情を消さず、僅かに燃え残った燻りをしっかりここで爆発させたのでしょう。
それは同時に簡単に物語の駒に成り下がらないという作り手の意地でもあります。
ミアナに憎しみがない理由
最期までゴジラへの憎しみを抱えたままだったハルオに対し、ミアナにゴジラへの憎しみはありませんでした。
ここではその理由についてあらすじを整理しながら彼女の考えと共に迫っていきましょう。
勝ち負けと生死
まず大前提として、原住民族であるフツア族の価値観として「勝ち=生」「負け=死」があります。
発達した文明の利器から隔絶したフツア族にとって勝ち負けは生存競争と表裏一体なのです。
その考えが根強く浸透しているミアナにとって、負けると分かっている戦いには何の意味もありません。
生存本能が兎に角強く、それ故に生命力の逞しさを感じさせるエネルギーの塊がフツア族です。
非常にシンプルな原理である為にハルオ達地球人類や異星人エクシフとは根本的に違います。
まず種族全体の原理原則が根っこにあることを忘れてはなりません。
ゴジラ・アースは災害の象徴
そんなフツア族にとって、ゴジラ・アースはあくまでも1つの「災害」に過ぎません。
災害であるということは即ちゴジラもまた自然の一部であるという認識です。
大自然は人類に「恵み」をもたらす神でもあれば「災害」をもたらす悪魔でもあります。
それに立ち向かうことは自然の摂理に反して禁忌を犯すことになるのです。
だからゴジラ・アースはミアナにとって敵ではなく、憎しみの対象にはなりません。
種を残すこと
3つ目にフツア族にとって最も大事なことは種を残し次代へ継ぐことだからです。
そのことを示すようにミアナの双子・マイナはハルオの子供を身ごもりました。
これは同時に地球人類とフツア族の愛の結晶にして架け橋の象徴でもあります。
物語中盤でマイナが語った「命繋ぐ」という言葉…これが全てを表わしているのです。
何1つ難しいことはなく、ただハルオと一緒に生き延びて平和に暮したかったのでしょう。
儀式の意味
本作の中盤には異星人エクシフによるギドラ復活の儀式が行われます。
信者たちを生贄にして破壊の限りを尽くすこの儀式には何の意味があるのでしょうか?
ゴジラ・アースのアンチテーゼ
まずこの儀式によって生まれたギドラはゴジラ・アースのアンチテーゼであるという意味です。
全くの異次元からやって来て星の命の象徴であるゴジラ・アースを餌として捕食しようとします。
即ちゴジラ・アース並びに地球人類にとっては完全な天敵であり、少なくとも人類側に勝ち目はありません。