まず注目したいのはアデルの着ていた青い服はエマのそれより深く濃い青であることです。
同じ青でも前半でエマが着ていた青とここでのアデルの青は意味がまるで違います。
エマの青は「若さ」「開放感」といった前向きで陽気な明るい青でした。
それに対してアデルの青はどこか暗い「不安」「悲しみ」といった後ろ向きの青です。
これは即ちアデルが1人であること、「孤独」の象徴ではないでしょうか。
沢山の人達に愛され囲まれているエマとの対比でよりそれが浮き彫りになっています。
大人になったアデル
2つ目にアデルが求めることを辞めて本当の意味で大人になったということでしょう。
ここでの彼女はエマとの関係もぎこちなく、誰の輪にも混ざろうとしません。
しかし、だからといってそのことを特別寂しがっているような様子もないのです。
それはアデルが孤独を愛せる強い大人になったことを意味するのではないでしょうか。
背中を向けて1人去って行く背中は本物の大人だけが纏える強さを醸し出していました。
子供っぽくなったエマ
そんなアデルとは逆にエマはブルーを着なくなったことで周囲に人が集まるようになりました。
同時に若さ故の尖りもなくなってどこか子供っぽさすら出し始めているようです。
大人になるにつれてどんどん尖るアデルと対照的にエマはどんどん柔らかくなっていきます。
これは序盤のどこか子供っぽかったアデルと大人びたエマの構図が逆転したものです。
つまり2人の人生はもう重なることはないことを意味していたのではないでしょうか。
実はアデルこそ挑戦的な芸術家
最終的にアデルは孤独になりましたが、これはアデルこそが実は挑戦的な芸術家である証でしょう。
エマはその本質を見抜いていて、アデルに文才があることを指摘しています。
知識人で天才な彼女がアデルに惹かれ愛し合ったのもアデルの本質に魅力を感じたからかもしれません。
同性愛を通してエマはアデルのそうした芸術家気質の部分を解放したかったのではないでしょうか。
でもそれはエマの手によってではなくアデルが自分自身で気付かないと意味が無いのです。
その点でも2人が別々の道を歩み始めたことは必然の流れだったことが分かります。
最終的なテーマは「人生」
こうしてみると、本作がアデルとエマを通して描いたテーマは「人生」そのものではないでしょうか。
同性愛だの青春だの芸術だの、装飾がトリッキーなだけで中身は純粋な2人の人生を描いただけなのです。
そしてまた、アデルとエマのどちらが正解だとも述べていません。
多くの知識人に囲まれて暮らすエマの生き方は確かに自由さを突き詰めた理想の生き方でしょう。
しかし、アデルのように「青」へと執着しそれを突き詰めて孤独になるのもまた1つの人生です。
どちらの生き方もそれぞれに味があり、それぞれに魅力的であることは間違いありません。