しかし、2回目のピアノのシーン(クニベルトの家)では、その様子が変わります。
ワーグナーの曲を弾く
2回目でゼヴが弾くのは、ワーグナーの楽曲です。本名リヒャルト・ワーグナーは、19世紀ドイツの作曲家で、ゲルマン系民族。
そしてこのワーグナーは、ユダヤ民族によって作られた音楽を否定していました。つまり、ナチスドイツが喜ぶ考え方をしていたのです。
娘から収容所にいた人が来てると聞いたが、生存者なら、ワーグナーは好まんだろ
引用:手紙は憶えている/配給会社:エンターテイメント・ワン
ワーグナーを弾くゼヴにクニベルトはこう語ります。
つまりこのシーンでは、ゼヴの正体がナチス側の人間であることを示唆しているのです。
1回目と2回目のピアノのシーンでは、ユダヤ系ピアニストとゲルマン系ピアニストという違いが映し出されているのでした。
罪悪感と記憶
ゼヴが自害するシーンは、本作の原題『Remember』をまさに表現したシーンでした。
そこには、ゼヴが抱える罪悪感と記憶があるのです。
オットー・ヴァリッシュであった自分
長年嘘をつき続けてきたこと、そこに重なる認知症。これらによって、ゼヴの記憶は混濁していました。
それは、偽ってきた自分がまさに本当の自分のように感じていたのです。
しかし現実は、アウシュビッツでマックスの家族たちを虐殺してきたナチス親衛隊。旅で探していた人物が、自分自身なのでした。
ナチス親衛隊であることを隠すために、自分の腕にわざと付けた囚人番号など、全てを自覚したオットー・ヴァリッシュ。
嘘が明るみに出たとき、その罪悪感から自殺を図りました。
虐殺してきた記憶
アウシュビッツで多くのユダヤ民族を殺してきたオットーです。
そう考えると、確かに3人目のナチス関連グッズを集めるルディ・コランダーを父に持つ息子を射殺したときも、妙に落ち着いています。
殺人を犯したにもかかわらず、ゆっくり風呂に浸かり、ベッドで熟眠していました。
その様子から、初めての人殺しではなく、むしろ殺人の経験があるかのような落ち着きっぷり。
今回の旅で、さらに罪を重ねてしまうゼヴは、最後に一緒に抜け出したクニベルトも殺します。
すべての罪を自覚し、その行為の重さに耐えきれずゼヴは自害するのでした。
手紙通りの行動
本作のストーリーにおいて最も重要なのがマックスの手紙でしょう。ゼヴはマックスが書いた手紙通りの行動をしてきました。
オットー・ヴァリッシュは我々が裁くしかない。君の手で奴を殺せ。
引用:手紙は憶えている/配給会社:エンターテイメント・ワン
マックスからの手紙には、こう書かれていました。つまり、ゼヴは自身の名前が分かったので、自分の手でオットー(自分)を殺すのです。
これはマックスの手紙を指針とした、最後の行動。ゼヴはマックスの意図を手紙を通して察知し、自害するのでした。
数奇な運命と過去
2人の老人が、老人ホームで出会う。たったこれだけの偶然にも関わらず、2人の過去と記憶がこれだけでは終わらせてくれませんでした。
それが『手紙は憶えている』であり、大どんでん返しが待っている映画なのです。
アウシュビッツ強制収容所で起きた惨劇は、人の人生を大きく狂わせ、ゼヴをゼヴ・グットマンとして死なせることを許しませんでした。
因果応報とも言うべきでしょうが、それだけの言葉では足りない何かが本作にはある気がします。