そう、個人の自由は所詮国家の管理下にあり、強大な国家権力の前に個人の自由は主張出来ません。
それは森も同じで、なまじ国家権力に逆らったばかりに一切の取材を禁止されてしまったのです。
逆にいえば森監督が国家にとっては避けなければならない程の脅威だったことの証左であります。
民意の怖さ
そして何よりも怖いのはそんな国家に加担して個人を徹底的に吊し上げる民意の残虐さです。
世の価値観や常識から外れたことをした瞬間に世間の目は一気に冷たく批判的になります。
フランス人の女性を罵倒した国民同様に、森監督や望月記者も世間からは疎まれる存在なのでしょう。
こうした所に民意の怖さが存在し、しかも今ではSNSなどを用いて簡単にそれが出来てしまうのです。
そういう意味では森監督も望月記者も異端児という点で共通しているのではないでしょうか。
いずれにしても、まず普通の価値観や普通の暮らしができる人たちでないことは事実です。
記者クラブの目的
物語の後半では“記者クラブ”という奇妙な組織の存在が政界の背後にあることが窺えます。
決して世間に出ることはないその実態の怪しいクラブの目的は果たして何なのでしょうか?
都合の悪い意見の封殺
記者クラブの目的は真実を暴かんとするジャーナリスト・新聞記者達の声を封殺することにあります。
事前に質問を告知し、その段階で都合の悪い質問は事前にフィルターにかけて振るい落とすのです。
こうすることで、世間には自分たちに都合の悪い意見を封鎖し、ご都合主義で生きられることになります。
そうしなければ自分たちが国民から税金を巻き上げ吸い上げて好き勝手に出来ないからでしょう。
世の中は所詮頭が良い人が勝つように出来ていることがこの記者クラブの存在から窺えます。
メディアの機能の無力化
そして最大の目的は「権力の監視役」というメディアの機能を無力化することにあるのでしょう。
よくメディアは「マスゴミ」だのと叩かれますが、これは国がそう仕向けているのです。
勿論世の中にはどうでもいいネタばかりを取り上げ炎上させることが狙いの記事も沢山あります。
しかし、中にはやはり森や望月のように少数派ながらも真実を探そうとする者も居るのです。
そうした人たちに批判の目を向けさせスケープゴートとすることにあるのではないでしょうか。
真実は常に国民の意識が向かわない所にひっそり隠されているものと推測されます。
個人の時代の到来
本作は「個人の時代」が来ることを森監督が予言しているのではないでしょうか。
かつてあった国家は段々その権威・権力を失い本来の機能を果たせなくなりつつあります。
即ちもう国家が個人を守ってくれなくなる、本当の意味での個人主義の時代が来るのです。
これまで何かと少数派として疎まれてきた森監督と望月記者の台頭はその象徴でありましょう。
新聞記事を通して、いつしか国家の陰謀の真実が暴かれる時が来るかも知れません。