生徒よりも強い立場の教師でありながら妙子のみを友達と呼んだあたりには、彼女が妙子と対等だという意識があったのでしょう。
生徒に煽られるだけで吐いてしまうほどのトラウマを抱えた彼女は、弱者としての立場を回避すべく妙子と対等の関係を望んだのです。
生徒として存在した教師
たとえ教師の立場でも学校に通って「友達」を作って
大津馬中学を卒業したかった!
引用:ミスミソウ/配給会社:ティ・ジョイ
失踪した(殺された)生徒たちの親に詰め寄られた南は、こう叫んで学校から飛び出します。
教師らしくない発言を見る限り、彼女の精神は中学生時代を正しく卒業できなかったのでしょう。
妙子を友人として扱った彼女の心理は、こういった発言からも明確になってきます。
いじめられ不幸なまま卒業した中学時代を再びやり直したい。
そのような考えがあったため、彼女はクラス内の問題から目をそらし、カーストトップの妙子を友達と言ったのです。
3つの作品から味わう「ミスミソウ」
漫画を原作とした映画『ミスミソウ』は、原作コミックに加え小説化もしています。
どちらも基本的なストーリーは押切蓮介の原作に忠実で、心をえぐるような人間関係が特徴。
映画、小説と作品化されたことで、角度を変えて世界観や人間関係を見直せるようになっています。
学校が主題となった映画化
映画では、妙子が生き残ったラストシーンや南先生のインパクトから、学校が主軸となった流れを強く感じます。
春花の心の機微を描くよりも、なにもない田舎町の学校が子ども達に与えた影響を考えさせられるような点が多数点在。
学校というテーマの在り方を感じさせてくれました。
漫画では春花の主観が多くみられるのに対し、主人公と主要メンバー両方をバランスよくピックアップしていたと感じます。
より個人を掘り下げた小説
双葉社から出版されている小説版の「ミスミソウ」には、個別のキャラクターエピソードが盛り込まれています。
放火事件の主犯キャラクターについても映画や漫画より細かく描かれており、より作品の深淵を覗けるのが特徴。
原作漫画の残酷さ、映画で見える人間関係に加え、中学生が抱える悩みや歪みをより感じることができます。
映画同様、少しだけ違うラストシーンからは何かを感じる部分もあり。
3つの角度から作品を観てみると、春花や妙子、流美の行動理由がさらに明確になるかもしれません。
スプラッターホラーには収まりきらないヒューマンドラマ
『ミスミソウ』は、成長しきれていない少年少女の予想外の残虐性を描いただけの作品ではありません。
大人になっても中学から卒業できていない女性や、子どもに悪影響を与える大人など、さまざまな人間関係が事件を誘発。
救われる者0という意外な結末には、学校や社会、家庭の在り方を大きく考えさせられました。
漫画から始まり、映画、小説とメディア化された「ミスミソウ」は、田舎町の狂気の縮図ともいえる作品です。
ハッピーエンドとは程遠いものの、思春期の葛藤や狂気は言葉にできない衝撃と純粋さを感じさせてくれたのではないでしょうか。