単なる男女の愛を表わすだけのキスではなく、生駒へ優しさと温もりを与えているのです。
そして何より自己犠牲的な生き方をしがちな生駒をつなぎ止めておきたいのでしょう。
無名の場合言葉以上に行動や態度で感情を表現することが多く、その現われがキスなのです。
もう生駒は1人じゃないと伝えるためのキスであったことが窺えます。
手を繋ぐ
2つ目にここで一緒に無名自身が編んだ手袋を渡しているというのもポイントです。
何故手袋だったのかというと生駒と無名が「手を繋ぐ」ことを意味するからでしょう。
即ちこの手袋はキスと一緒に2人が永遠に手を取り合って生きていく誓いにして象徴なのです。
本作においては特に「手」という部分がとても重要視されていることがここで分かります。
手と手を握るというとても簡単な、しかし同時にとても大切なことを表現しているのです。
人間とカバネリの共存
そして何よりも生駒がカバネリ、無名が人間という設定を忘れてはいけません。
この2人が手を取り恋人として結ばれることは即ち人間とカバネリの共存を意味します。
そう、長い間無理だと思われた人間とカバネの関係に1つの答えを出したのです。
ここで別々に切り離された戦いの要素と恋愛の要素が上手く融和を果たします。
2人が手を取り合う未来となることでカバネと人間の絆が出来るかもしれません。
そんな可能性を感じさせる前向きかつロマンティックなキスではないでしょうか。
真の悪は群集心理
こうして見ると、本作で1番恐ろしいのは負の感情に陥った時の群集心理です。
本作のラスボスである景之は過激な指導者ですが、そこまで残酷ではありません。
寧ろ恐ろしいのはカバネリというだけで差別・迫害をする愚かな兵士達です。
群集心理とは適切な方向に行けば大きな効果を生み出してくれる絶大な武器でしょう。
しかし本作のようにそれが間違った使われ方をすると簡単に人を殺す凶器になります。
だからこそ生駒と日本軍を繋げる架け橋として無名が必要なのではないでしょうか。
こんなに腐った実態がありながらもその群集心理の中で生きているのですから。
「繋げる」のではなく「繋がる」
本作で示された最終的な答えは「繋げる」のではなく「繋がる」ことの大切さです。
生駒と無名は決して繋げようとしたのではなく自然と繋がっていきました。
逆に日本軍の兵士達は無理に人同士を繋げようとするから繋がれないカバネを殺します。
景之ももしかしたら生駒や無名達と繋がることが出来たかも知れないのです。
多くの場合その本質を見誤って疑心暗鬼を生じ、機会損失になってしまいます。
人間とカバネ、そしてカバネリの関係を通して真の悪とは何か?に見事答えを出した傑作です。