二人の結婚式は、そのような子供たちの遊びの延長線上にあった部分は否めません。
確かに子供たちは影に隠れてたばこを吸ったりウィスキーを飲んだりと、背伸びした行動をします。
でも全員で授業をボイコットすることは結構大変なことです。そこには子供たちの何らかの意思表示があったはずです。
ある意味権威の象徴である学校の先生たちへの宣戦布告的な意味があったのではないでしょうか。
大人たちの過敏な反応
二人の結婚式に気づいた大人たちの振る舞いは滑稽を絵に描いたような対応でした。
ドタバタの連続で非常にコミカルに表現されており、大人たちの愚かさを描きたかった作品の意図が感じられます。
なぜ大人たちはここまで過敏に反応したのでしょうか。
それは子供たちの行動が大人たちの想定の範囲を遙かに超えていたからです。
大人たちは子供たちから革命宣告を受けた気分だったのではないでしょうか。であれば、うろたえるのは当然です。
もちろん大人たちにはもっと懸命な対応があったはずです。金八先生のような先生が一人でもいたら対応は変わっていたことでしょう。
トロッコが象徴するもの
先生たちに詰め寄られたダニエルとメロディはトムの指示でうち捨てられていたトロッコに乗って逃げ出すことになりました。
心が温かくなるこの映画の多くの美しいシーンの中でも、二人でトロッコをこぐシーンは特に語り継がれるべき素晴らしいシーンといえます。
トロッコをこぎ出す二人はまるで新婚旅行に出かけるようにも見えるではありませんか。
ラストシーンではカメラが引かれ、二人がこぐトロッコの先にまっすぐにどこかに伸びる線路が映し出されます。
このシーンはこれから彼らが直面するであろう長い人生や世間を暗示しているようにも見えるのです。
友情と恋
男の子同士の友情に女の子が入り込んでくるとどうなるのでしょうか。
この物語の結論は非常にクリアです。ダニエルは何の躊躇もなくメロディとの恋に走ります。
友情と恋はどちらかを選ぶという筋合いのものではないことを雄弁に物語っているようです。
トムとダニエル
トムとダニエルは階級差を乗り越えて仲良くなります。
最初こそ牽制し合いますが、お互いにうまが合うことがわかってくるのです。
ダニエルは母親が車を持っていることからもわかるように、中流階級のどちらかといえば裕福な家庭に育っています。
一方のトムは労働者階級の貧しい家庭で苦しい生活を余儀なくされているのです。
最初トムは二人の階級差を意識しているように見えます。自分とダニエルは相容れないと考えていました。
ダニエルはこれに無頓着です。自分の親切が相手を傷つけていることにも気づきません。
天真爛漫なダニエルにトムも次第に心を開くようになり、結局二人は友達になるのです。
二人の毎日は学友たちとともに楽しく何の問題もなく過ぎて行きます。メロディがダニエルの前に現れるまでは。
トムはメロディに嫉妬したのか
ダニエルとメロディが互いのときめきを共有しあう中で、トムはダニエルとの仲がこれまでと同じようにはいかないことに気づかざるを得ませんでした。