昔は日本でも豊作音頭といって、稲が豊作になるように祈るという文化がありました。
スペンサーは未来の自分の姿をありありと想像し、この祈りに込めたのでしょう。
そのお陰で離れ離れになった3人の絆が蘇り、また救命士へ近づくことが出来ました。
この時点で後半に向けての壮大な伏線が既に貼られていたと推測されます。
ラストの栄誉賞
2つ目に、この祈りはラストで3人が貰うレジオン・ドヌール勲章への伏線でもあります。
予祝をしたことで、自然と体が平和の方向へ進んでいったのではないでしょうか。
そして、それが銃乱射事件によって一気に転機となって結実したのです。
ここで大事なポイントは決して1人ではなく、あくまで3人というところにあります。
個人プレーではなくチームワークで平和をもぎ取ったことに意味があるのです。
これもスペンサーの平和への願いが本物だったからでしょう。
神の化身
そして3つ目に、神秘的な解釈をするとスペンサー達が神の化身であるという意味です。
幾ら軍人や見習い救命士とはいえ、普通の若者であればテロリストに降参するでしょう。
しかし、スペンサー達は誰1人として怯むことなく立ち向かっていったのです。
しかもこれが実話なのですから、スペンサー達は神の化身か転生者ではないでしょうか。
現代に生ける神話の象徴として、イーストウッド監督は3人を据えたことが窺えます。
まだまだ世界の中にはこうした英雄が実在していることを知らしめたのです。
ハッピーエンド版『ミスティックリバー』
本作はハッピーエンド版『ミスティックリバー』であるといえます。
共通しているのは仲の良かった3人の幼なじみ達が大きくなって再会することです。
『ミスティックリバー』はそこで関係性が複雑に拗れて、1人が冤罪で殺されてしまいました。
本作はその逆の明るく前向きな3人の幼なじみの関係性を描きたかったのではないでしょうか。
確かに『ミスティックリバー』と比べて、幾分捻りがなくストレートだったのは否めません。
そしてそれが恐らくは批評家達から酷評される根拠になっているのでしょう。
しかし、その報われずやりきれない後味の悪さを本作は見事に払拭してくれたといえます。
つまり『ミスティックリバー』のリターンマッチを改めて本作で果たした形です。
たった1度の今日という日
本作における最終的なメッセージは「たった1度の今日という日」ではないでしょうか。
上では「神の化身」だと評しましたが、スペンサー達はごく普通の若者です。
しかし、そんな彼らでも銃乱射事件というたった1度の日に英雄となることが出来ました。
人生において挫折が多くても、諦めず生きていればどこかでチャンスは必ずやって来ます。
多くの人はそのチャンスを見逃しているか、そもそも行動を起こさないからチャンスに恵まれないのです。
掴んだチャンスをものに出来るかどうかは全てその人の心1つで決まります。