でも本当は傷ついた同士二人もっと理解し合えたはずなのです。
人は相手のことを思う余り思惑に反して相手との距離を広げてしまうことがあるのだということを思い知らされます。
ヴィック刑事とロバート
ヴィック刑事はロバートとの親子関係で一種の勘違いをしていました。
いわゆる「やれば出来る子」「本当はいい子」と、その子を本当に理解しているのは自分しかいないと思い込んでいたのです。
たとえその子が悪事をはたらいたとしても本当はいい子であるその子を自分が守ってやらなくてはいけないと勘違いしていました。
それがその子のためにはならず、結局はその子が更生する機会を逃し続けていることに気がつかないのです。
これが悲劇を生みます。お互いに不幸なのです。
ヴィック刑事とロバートの親子関係は決して特別なものではありません。
我々の周囲にある普通の親子にも同様な関係が存在しえることを忘れてはいけません。
なぜ全編PC画面なのか
この作品は全編がPCのモニター画面によって展開されています。なぜこのような特殊な形態をとる必要があったのでしょうか。
この作品ではネットにつながったPCの利便性と恐ろしさの両面が描かれています。
物語がPCのモニター上で展開することによってこれらがより強調されているのです。
この演出であたかも自分がPCを操作しているかのような臨場感が増しています。
一方でこの作品はPCというデバイスを親子の溝を象徴する存在としても描かれているのです。
母親が亡くなった後デビットとマーゴットはPCを通じてお互いのことを知る関係になってしまいます。
またデビットはPCをsearch/サーチすることによって、本当は孤独だったマーゴットの真実やバーチャル空間でのマーゴットの姿に気づくのです。
作品を全編PC画面にすることによって、この辺りの意図がより明確に伝わってきます。
【search/サーチ】が描くネットの功罪と親子関係
この作品は様々な見方が出来ます。
どんでん返しの面白さを楽しむサスペンスドラマとしても秀逸なできに仕上がっているのはもちろんです。
現代社会における生活に欠かせないネットにつながったPCの利便性と危険性に対するメッセージ性も見逃せません。
わかったつもりで接していた子供がいつのまにか成長し、親の知らない世界を持つようになるのは仕方ありません。
その時に親子関係をどのように築いていけばよいのか、この作品は一つのヒントを与えてくれます。