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【WALKING MAN】は自身がラッパーである自分の体験も盛り込んでメガホンを取ったANARCHYの初監督作品です。
一種のサクセスストーリーにはなっていますが、自己責任という無責任な責任転嫁の現実が赤裸々に表現されている作品に仕上がっています。
人は如何様な環境にあっても自己を何らかの形で表現する欲求を持つ生き物といえるのではないでしょうか。
それは日々の仕事であったり、恋愛であったり、趣味であったりします。アトムの場合それはラップという音楽でした。
彼がなぜラップにのめり込んだのか、またラップを通して表現したかったことは何だったのかを見てみましょう。
アトムはなぜラップに目覚めたのか
ドラマの序盤のアトムを見ていると、彼はラップとはとても遠い世界にいるように見えます。
彼がラップと出会ったことには偶然と必然がありそうです。彼がラップに目覚めたわけを探ってみましょう
偶然の出会い
アトムがラップと出会ったのは全くの偶然でした。
しかしながらそこには一種の必然が潜んでいたともいえます。
彼の心の奥底には何か自分が生きている証となるものに出会いたいというマグマが行き場所を求めていました。
もしこのような心の奥からの突き上げがなかったら、アトムが不用品整理作業の中でラッパーの存在に気づくことはなかったでしょう。
ひょっとしたら彼が自己表現の手段として選んだのは音楽以外だった可能性もあったのです。
そういう意味ではアトムとラップの出会いは運命だったといえなくもありません。
不遇な家庭環境
アトムのような恵まれない母子家庭で育った子はどのような精神構造を作り上げるのでしょうか。
彼らは健康保険料が未納になっていたことなどから、家族三人で生きていくことが精一杯の毎日だったことでしょう。
趣味などの何かを表現するような手段を持つ余裕は全くなかったはずです。
一方、社会の底辺で生きる彼らには現実社会からの容赦ない批判や冷酷な視線が浴びせかけられます。
アトムたちはそれに反論することも自己主張することもありません。ただこれらの理不尽さを心の中に押し込めるだけでした。
アトムはこの押し込められた思いをラップのエネルギーに変換したのです。
吃音症
アトムのラップには彼が吃音症だったことも影響していました。
吃音症はなった人にしかわからないつらさがあるとされています。人前で話すことがほとんど不可能になってしまうのですから。
思いは表現されてこそ初めて生命を持ちます。表現されない思いは心の中で鬱々とするばかりなのです。
アトムはラップをするときは吃音症が出ないことに気づきます。このときの嬉々としたかれの心情には想像を絶するものがあります。