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【ライリー・ノース -復讐の女神-】はどこにでもいそうなアメリカの一主婦が家族を理不尽に殺害されたことが原因で復讐の鬼になる物語です。

もちろん派手なアクションシーンを楽しむこともできますが、一方で正義とは何なのかを我々に問いかける作品でもあります。

また、この作品ではSNSによる社会的な裁きの存在にもスポットライトが当てられている側面も見逃せません。

例え法の裁きを巧みにすり抜けたとしても、許されざる者は何らかの制裁を受けるという一種の爽快感が余韻として残る物語でもあります。

正義とは何か

justice

世の中には社会的にも人道的にも決して許されざる極悪非道が、法の網をすり抜けているという現実が存在するといわざるを得ません。

そのような者が何の制裁も受けないということであれば、果たして正義とは何なのかと問いたくなります。

主人公のライリーは自分こそが正義だと主張し、いわゆる私的制裁をこれらの悪人たちに科すのです。

刑事のモイゼスもまた刑事としては決して許されない、殺人犯の逃亡に手を貸すという行為に及びます。

二人の振る舞いはどのように解釈したらいいのでしょうか。それぞれの正義を見てみましょう。

ライリーの正義

ライリーの悪人たちに対する復讐は情け容赦ありません。命乞いをする判事にも容赦なく怒りの鉄槌を下します。

人間社会が法に基づく罰を彼らに下さないのであれば、自らが神に代わって正義を執行するのだといわんばかりです。

しかし、彼女の復讐行動は決して怒りにまかせた衝動的なものではありません。

愛する家族を理不尽に殺され犯人たちが野放しにされるという現実に、自分がなすべきことは何なのかを冷静に考えた末の行動なのです。

そこには社会的規範とか、きれい事の正義とかは存在しません。自分の納得する正義を純粋に貫こうとする思いがあるだけといえます。

彼女が直接手を下したのは、疑問の余地なく排除されて当然と考えられる者だけでした。

モイゼス刑事の正義

手錠

モイゼス刑事が手錠を掛けられてベッドに横たわるライリーに手錠の鍵を密かに握らせたのは彼の正義心のなせる技です。

このままライリーを法の裁きに委ねることの正当性が彼の脳裏をかすめた結果の行動だったといえます。

本来法による裁きを具現化するための存在であるべき刑事がこのような行為に及んだことに大きな意味があるのではないでしょうか。

ライリーの逮捕に関してモイゼスは刑事としては頭の中では理解できても、一人の人間としては到底納得することができなかったのです。

ある意味彼は自己の正義心に忠実に従ったといえます。