内向的でも心に強い芯を持っていたのがムイでした。
髪を坊主にした意図
絶体絶命のところに髪を坊主にしてムイが現れました。
女性にとって命ともいえる大事な物であり、顔を隠すのに必要だった髪を捨てた意図は何だったのでしょうか。
戦士として戦いの場に立ちたい
シン達の試合は非常に過酷で、試合というより「戦い」という表現がぴったりきます。そこに立つためには並々ならぬ覚悟が必要でした。
髪を坊主にしたムイは、遠くにいるファンが見ても少し見ただけでは女性だということに気づかないでしょう。
もし女性だとわかれば汚い野次などでシン達の気がそがれたかもしれません。
余計な心配を彼らにさせたくないと考えムイは坊主にしたと考察できるでしょう。
「女」としてではなく「戦士」として戦場に立つ覚悟の証がムイの坊主頭です。
自分の変化を伝えるため
もう一つの意図が彼女自身の変化をシン達に伝えたかったということです。
ムイの「髪」は彼女の閉ざした心の比喩でした。
それを一本残らず無くしたことで、試合に来た彼女がもう以前の彼女ではないことを伝えようとしていたのです。
最初は地味な服装で顔を隠し、次第に派手な服を纏い、最後には自分の顔を完全にさらけ出す姿は変化を観客にもわかりやすく示していました。
また自分をさらけ出すということは、シンにありのままの自分を見て欲しいと考えるムイの恋心であったとも考えることができます。
少林サッカーから窺える映画の醍醐味
「少林サッカー」は非常に娯楽性の高い映画です。
確かに少林拳とサッカーの組み合わせなど有り得ないと思われる方もいるでしょう。
しかし古今東西の映画の中で「面白い」と人を惹きつける作品には突き抜けた何かがあります。
それはある面では「現実的でない」と評価される部分もありますが、現実的であることだけが映画の全てではありません。
観客の度肝を抜くようなアイデアや挫折した人間が再生していくという誰もが共感できるストーリーに、本作はド派手なアクションも満載です。
大スクリーンで観るに相応しいパワーを持った本作は、映画の面白さを伝えるブルース・リーのような普遍性を持った作品でした。
未見の方はこの機会に「少林サッカー」をご覧になられてはいかがでしょうか。