宇宙人の最大の恐怖は太陽の爆発とそれが誘発する宇宙全体への影響でした。
この設定を地球・太陽・宇宙という構図だけで見てはいけません。
無制限なテクノロジー信奉がもたらす影響力への恐怖と捉えるべきです。
宇宙人が人類を宇宙全体にとってのいわゆる害虫と見て、これを駆除することが自分たちの重要な使命と考えたのではないでしょうか。
勿論そこには大いなる勘違いがありました。
人類のテクノロジー
確かに人類のテクノロジーはそれほど進歩的な段階に達してはいませんでした。
とりあえず宇宙人が危惧する必要は全くなかったのです。
宇宙人は自分たちの尺度で人類を考え、その未来への可能性を恐れたのかもしれません。
現在の延長線上に地球人が持つであろう未来のテクノロジーを見て、恐怖感を持ったのです。
宇宙人はなぜ恐れるのか
宇宙人たちもかつては自分たちのテクノロジーで宇宙全体を危機にさらした経験があったのかもしれません。
知的生命体が持つ野放図なテクノロジーの進歩の恐ろしさを知っているが故に人類に警告を与えたのです。
そして、その後地球人に鉄槌を下す決意をしたのではないでしょうか。
確かにテクノロジーには「もっともっと」と未来永劫にジャンプを繰り返していく傾向があります。
設定は全くの空想か
そのように考えれば宇宙人の考える恐怖感やこの作品の設定が決して荒唐無稽なものとはいえないのかもしれません。
放置すればどこまでも進歩を追究しようとするテクノロジーにストップをかけられる知恵と勇気を人類は持つことができるのでしょうか。
愚かなテクノロジー信奉が行き着く悲惨で無残な未来を描いたSF映画がその後数多く制作されたではありませんか。
この作品はそのような意味でも決して「史上最低の映画」などとはいえないのです。
死者を蘇らせるわけ
一体死者を蘇らせることにどのような意味を見出せばいいのか。
現在のゾンビ映画への道を切り拓いたともいえるこのテーマを考察してみましょう。
死者に何をさせようとしたのか
宇宙人は死者を蘇らせるだけではなく、これをコントロールしようとしました。
この作品では蘇った死者は3人でした。この設定に誤魔化されてはいけません。
これが数億人・数十億人だったらどうでしょうか。
それが宇宙人のコントロールの下に人類に襲いかかってくるとしたら。
それは間違いなく人類の滅亡に繋がるカタストロフィになるでしょう。
そもそもそのような驚異的なバイオテクノロジーを持つ知的生命体に対して人類はなすすべがあるのでしょうか。
ゾンビ映画の先駆け
このように考えるとこの作品は「バイオハザード」などの数々のゾンビ映画の先鞭を付けていたともいえるのではないでしょうか。