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御年88歳のクリント・イーストウッドが監督・主演を務めたことで大きな話題を呼んだ「運び屋」。
クリント・イーストウッドは2010年頃から監督としては2年に1度のペースで新作を発表し続けています。
しかし俳優としてスクリーンに姿を表すのは実に2012年の「人生の特等席」以来のこと。
やはり味のある演技と彼の監督作ならではの人物表現が高い評価を呼んだ作品です。
この記事ではイーストウッド演じる主人公、アールの生き様を深く掘り下げてみます。
なぜ闇の世界から足を洗わなかったのか、そしてあのラストシーンは何を表しているのか考察してみましょう。
アールが闇の世界に足を踏み入れた理由とは
アールがそれまで犯罪とは無縁のまっとうな人生を歩いてきた人間でした。
それがなぜ”運び屋”という危険な仕事に手を染めるようになったのでしょうか。
身近にあった落とし穴
アールはインターネット全盛の時代の流れについていけず、金銭的に困窮するようになります。
デイリリー作りの第一人者として名を馳せていたアールですが、もうそれだけでは通用しない世の中になり、家も大切な農園も手放すことになったのです。
何もかも失いながらもすべてをインターネットのせいに、時代のせいにして苦々しく感じていたアールは孫娘の招待されたパーティで妻と娘に手ひどく糾弾され、拒絶されることでさらに傷つきます。
全てを失い、せめてもの家族の絆にすがろうともそうはいかない、アールの心が弱った瞬間だったのではないでしょうか。
そしてかわいい孫娘の友人と思われる若者にまさか裏の世界に通じている人間がいるとは思ってもいなかったのでしょう。
誰が聞いてもおかしいと思う、「車を運転するだけで稼げる仕事」に手を出したのはお金が必要だったことも関係していなくはないでしょう。
ですが一気に押し寄せてきた寂しさや虚しさ、そういうものがアールの冷静な判断力を鈍らせていたのではないかとも考えられます。
変われないアール
アールはインターネットの時代についていけなくなり財産を失います。
その前にすでに家族は去っていたようですが、彼の支えであったデイリリーとも関われなくなる日々がついに訪れたのです。
劇中でアールは運び屋の仕事の最中に黒人の若い家族が車で立ち往生しているのを目撃し、手助けしました。
その行動自体はリベラルで博愛精神を感じるものですが、今となっては使用に差しさわりがある差別用語を無意識のうちに発してしまいます。
しかしアールの中では特に差別しているという意識はなく、自然に出たものでアールの中ではそれが普通なのです。
ただ時代が変わっていきその言葉が世間的に認められなくなった、それすらも受け止めていないのです。
黒人の男性と女性はためらった風を見せながら今ではその言葉は使用しないとたしなめますが、アールはどこ吹く風です。
差別している意識がないのですから。
このシーンにアールが周囲の環境を、時の流れを受け入れずに取り残されていく姿が象徴されています。
インターネットを受け入れられないのもこのシーンと結びつけて考えることができるでしょう。
誰しもが時代の流れにある程度は順応して生きていくのですが、まったくそれができないアールは現代社会では生きる術を失っていったのです。